王将戦第4局で渡辺明王将に勝利し、感想戦で対局を振り返る藤井(代表撮影)
王将戦第4局で渡辺明王将に勝利し、感想戦で対局を振り返る藤井(代表撮影)

 図抜けた強さで将棋界の記録を更新する藤井聡太。名実ともに、将棋を指す人類の頂点に立つ。それでも「頂上が見えない」と言う。その真意は何なのか。AERA2022年2月28日号の記事を紹介する。

【現在のタイトル保持者はこちら】

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 1996年2月14日。羽生善治現九段(51)は史上初めて全七冠制覇を達成した。藤井新王将誕生と同じ時節なのは偶然ではなく、羽生もそのとき、4連勝のストレートで王将戦七番勝負を制していた。

 藤井の現在の実力を前提として考えれば、五冠達成はなんら不思議ではない。この先、八冠になったとしても同様だろう。将棋界の歴史をたどってみれば、図抜けたトップが第一人者として君臨する時代が長い。藤井以前に五冠を達成した大山康晴十五世名人(故人)、中原誠十六世名人(74)、羽生の例を見れば明らかだ。

 将棋界の覇者たちは、楽に勝ち続けたわけではない。同時代にはライバルがいて、熾烈(しれつ)な争いを繰り広げてきた。そしてわずかの差で勝負を制し、実績では大きな差をつけていった。

 藤井は現在、名実ともに、将棋を指す人類の頂点に立つ。どれだけタイトルを保持するかを目的とするならば、藤井はすでに世界の半分以上を手に入れたことになる。しかし藤井が求めて願うものは違う。

 富士山でいえば、何合目ぐらいに登っているイメージがあるか。藤井は記者会見でそんな質問をされた。ありふれた問いかけと言っていいだろう。対して藤井の回答が話題を呼んだ。

「将棋というのはとても奥が深いゲームで、どこが頂上なのかというのもまったく見えない」

「頂上が見えないという点では森林限界の手前というか、まだまだやっぱり、上のほうには行けていないのかなとは思います」

 富士山では5合目あたりから樹木が生えなくなる。それが森林限界だ。多くの人から見れば、藤井はすでに目もくらむような高みにいるように感じられる。しかし藤井本人の意識からすれば、現在の場所はまだ山の中腹の深い森の中。将棋の真理という頂点ははるかかなたの見えない先にある、というのだろう。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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