2月20日に閉幕した北京冬季五輪では問題が相次ぎ、改めてあり方が問われた。五輪に詳しい一橋大学大学院・坂上康博教授と著述家・本間龍さんが対談した。AERA 2022年2月28日号から。
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本間:北京五輪で改めてわかったのは、先の東京五輪に続き、「アスリートファースト」が蔑(ないがし)ろにされたことです。東京は酷暑のなかで開催。北京では、例えば雪が降らないところに硬い人工雪を降らせ、スノーボードの選手が負傷する事態になりました。
論外です。「選手第一」の完全な形骸化が、この半年間ほどの二つの国での開催で明らかになりました。
坂上:競技時間の問題もあります。夜間開催のスキー・ジャンプや午前中のフィギュアスケートは、人気のある欧州や米国の視聴時間に合わせたものですね。商業主義が選手の晴れの舞台の時間さえも規定している。相当ひどい実態なんですが、それに鈍感になっている私たちもいるんじゃないでしょうか。
本間:コロナ禍での強行開催も気になりました。北京ではバブル対策の締め付けが強く、メディアが北京市内の様子も報道できないし、4年に1回、世界中の人々が集まって友好を深めることすらもできない。そんな状況でやる五輪など全く何の意味もないと思います。
■五輪が持つ平和構築力
坂上:私もそう思います。「交流したらだめ」のコロナ禍と五輪が両立するわけないんです。
ただ、五輪が持つ平和構築力については、私はまだ諦めていません。世界中の若者が集まって、仲良くなって帰っていく。そうなれば、その国の見方が変わる。「友だちがいる国」に、ミサイルは撃ち込めない。具体的な顔が見えないところでかきたてられる憎悪感みたいなものを阻止できる点では、五輪には意味があるし、そういう力は持ち得ていると思っています。
本間:私はさめた見方をしています。新疆ウイグル自治区での弾圧や香港問題を見ても、「まともな国」とは言えないところで平和の祭典をやること自体、「お笑い」です。北京で五輪をやったことが、「五輪の高邁な(こうまい)理想」は全て嘘だと体現していたと思います。
その嘘(うそ)は、女子フィギュアスケートのドーピング問題で、ワリエワ選手(ロシア・オリンピック委員会)の参加を認めたことにも表れています。