横浜 BarBarBar/関内駅南口徒歩4分。1984年オープンの老舗バー。ネオンは創業当時からのトレードマーク。コロナ前は年間300日、ジャズライブが行われていた。再開を待ちわびる人も多い、と店主の竹内真澄さん(撮影/写真家・中村治)
横浜 BarBarBar/関内駅南口徒歩4分。1984年オープンの老舗バー。ネオンは創業当時からのトレードマーク。コロナ前は年間300日、ジャズライブが行われていた。再開を待ちわびる人も多い、と店主の竹内真澄さん(撮影/写真家・中村治)

 コロナ禍に見舞われた夜の街に小さなともしびが灯る。ド派手なネオンが、小ぶりで身近なネオンに変わった。懐かしさを感じるその存在が私たちをほっとさせる。AERA2022年2月21日号の記事を紹介する。

【フォトギャラリー】新しい癒やし…東京周辺のレトロなネオンをご紹介

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 15年程前から急速に普及し始めた、より安価で簡易に設置できるLEDによって、日本中の街からネオンは消え去りつつある。屋上塔屋や壁面の大規模な広告はLEDに置き換わり、パチンコ店などに多く見られたド派手で巨大なネオンも少なくなった。かつてネオンと共にあった昭和的風景は、その姿を消し去りつつある。気づいた時にはレアなものとなっているというのは、前時代の残り香の宿命なのだろう。しかし、完全に消え去る直前にその価値が見直され、新たな時代で生まれ変わるという現象もしばしば起こる。懐かしいネオンから、新しいネオンへ。変転する時代と共に、街を照らすネオンもその姿を変えようとしている。

 2019年秋から2年間、私は東京周辺の夜の街を歩き、まだ各地に残るネオンのある風景を撮り集めてきた。まだ撮影を始めたばかりの20年春、日本中、世界中がコロナ禍に見舞われた。夜の街を彩ってきた多くの店舗が、閉店廃業を余儀なくされていく様を目の当たりにした。それでも明かりを灯し続けるネオンを探して撮影を続けた。

■あたかもずっと昔から

 街の様子の変化に気づいたのは、一旦コロナの嵐が過ぎ去ったかのように見えた、21年の春を迎えた頃だった。空き店舗を借り受け、新たにオープンした店の看板にネオンを採用する店舗が増え始めた。

 ネオンは一本一本、職人の手で曲げられ形作られる。塗装したガラス管にネオンガス、アルゴンガスを封入し、電極を付け放電すると、さまざまな色に発光させることができる。ネオン制作には職人の長年の修練と経験が欠かせない。この数年、若い世代の間でそのネオンがレトロでカワイイと人気が再燃しつつある。この現象は、サブスクでどんな音楽も簡単に手に入れることのできる時代に生まれた世代が、レコードやカセットテープに魅了されるのに似ている。

 昭和的ネオンが多くの色を使い、全面にその存在を主張するものが多いのに対して、最近のネオンは単色で書体もシンプル、空間に調和するデザインが多い。ネオンは明らかにその時代の空気をまとっている。単色でシンプルなネオンを掲げてきた、創業38年、横浜の老舗バー「BarBarBar」のネオンは時代を先行していたのかもしれない。

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