細胞を扱っていると「死」の定義が揺らぐ。自身のがん罹患をきっかけに制作した作品の前で(撮影/岡田晃奈)
細胞を扱っていると「死」の定義が揺らぐ。自身のがん罹患をきっかけに制作した作品の前で(撮影/岡田晃奈)

 バイオアーティスト、福原志保。バイオアートとは、生物学と技術の進化で生まれたアートの先端ジャンルだ。20世紀の終わりにクローン羊が世界に衝撃を与えて以来、遺伝子を扱う作品は賛否両論を生んできた。DNAプリントが手軽に入手できるいま、いかに生命に向き合うべきか。生命と非生命の境目はどこにあるのか。そのリテラシーを問う福原に昨年、乳がんが発覚した。

【写真】自宅の庭につるしたハンモックでリモートワークを行う福原さん

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 今から7年前。金沢21世紀美術館(石川県)で、21世紀のアートシーンを更新する革新的な作品が発表された。タイトルは「Ghost in the Cell:細胞の中の幽霊」。制作者は福原志保(ふくはらしほ)(46)とゲオアグ・トレメル(45)がロンドンで立ち上げたアーティスト集団のBCLだ。

“幽霊”は、ギャラリーの中央に置かれた1台の孵卵(ふらん)器に宿る。そこには、収縮と弛緩の動きを繰り返す心筋細胞がある。その心筋細胞にはバーチャルアイドル、初音ミクのDNAが組み込まれている。ミクは動画、楽曲、イラストなどインターネット経由の二次創作で絶大な人気を誇るキャラクターで、ファンは自分仕様に創作したミクを「俺ミク」と呼んで愛好する。展示はいわば細胞版の「俺ミク」で、その姿を一目見ようと、美術館にはミクファンが列をなした。

 と、自分で書いていて、よく分からない。「仮想キャラクターの、生きている細胞」という言葉のねじれもさることながら、そんなものを作ることが可能なのだろうか。

「簡単にできます」

 と、福原はこともなげに言った。

「かつてはヒトゲノムの解析に100億円ほど必要でしたが、今では10万円単位で全ゲノム解析ができるようになっています。この作品では、白い肌、緑の髪と瞳といったミクの外見上の特徴を記したDNA配列データを用意し、ネット上で参加者たちと編集し直したものを、iPS細胞で作った心筋細胞に組み込み、培養しました。今はiPS細胞を作ることも、だいぶハードルが下がりました」

初音ミクの“心筋細胞”
禁忌意識を揺さぶる問い

 あらゆる組織に分化するiPS細胞から、なぜ心筋細胞を選んだかというと、「静」がデフォルトの細胞の中で、心臓を構成するこの細胞だけは唯一、動的な特徴を持つからだ。福原は続ける。

「細胞だけでは生命とは言えません。ただ、人は動くものに生命を感じ取る。その動きを見ることで、仮想の存在を身近に引き寄せられる」

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