保育園の取り組みで、生のアジに直接手で触れ、保育士にサポートしてもらいながら慎重に包丁を入れていく園児(写真:社会福祉法人どろんこ会提供)
保育園の取り組みで、生のアジに直接手で触れ、保育士にサポートしてもらいながら慎重に包丁を入れていく園児(写真:社会福祉法人どろんこ会提供)


 東京大学名誉教授で哲学者の一ノ瀬正樹さんに問うと、「私たちの命に限りがあって、やがて死ぬからこそ、命は『大いに切ない』からこそ、大切なんです」と返ってきた。

 そして、こうも続けた。

「実際、私たちは命を本当に、いつも、文字通りに大切にしていると言えるでしょうか?」

 例えば日本では、交通事故で年約3千人が亡くなる。自動車の存在を法的に許すことは、間違いなく何千人かの人が亡くなることを前提にしていることだと、一ノ瀬さんは言う。

「本当に命が大切なら自動車は禁止すべきですが、しませんよね。災害医療現場でのトリアージも典型です。措置を後回しにされた方の命は結果として大切にされなかったことになりえませんか。このような『命が両立できない』状況は社会でしばしば起きる。それが事実です。『命は大切』は本当に実践されてる? そう問うてみてください」

 なるほど。動物の命も同様に「『命は大切』が必ずしも守られていない」ものの一つ、ということか。一ノ瀬さんは「その問題を考える際に大事なのは、まず事実を知ってから考えること」としつつ、こう指摘する。

「食べるために動物を殺す、その過程が『見えない』ことが一つ、問題です。例えば金属の棒を持ったおじさんが公園でをたたいて殺していたら、私たちは『やめてよ!』という感覚を持つでしょう。そうやって見える場合はその感覚が顕在化するけれど、食肉処理場の様子は見えないので顕在化する機会もない。まずは事実。でないと議論はただの空理空論です」

(編集部・小長光哲郎)

AERA 2022年2月14日号より抜粋

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小長光哲郎

小長光哲郎

ライター/AERA編集部 1966年、福岡県北九州市生まれ。月刊誌などの編集者を経て、2019年よりAERA編集部

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