新庄剛志(しんじょう・つよし)/1972年生まれ。プロ選手としてNPBで14年、MLBで3年間活躍。2006年現役引退後、バリ島に移住。19年自由契約選手、20年トライアウトに参加、21年、北海道日本ハムファイターズ監督に就任[撮影/蜷川実花、hair
新庄剛志(しんじょう・つよし)/1972年生まれ。プロ選手としてNPBで14年、MLBで3年間活躍。2006年現役引退後、バリ島に移住。19年自由契約選手、20年トライアウトに参加、21年、北海道日本ハムファイターズ監督に就任[撮影/蜷川実花、hair & make up 馬渡さやか(BLANCO) costume design 鶴田能史(tenbo) prop styling さくら]

 突然の現役復帰宣言から、その2年後には監督へ──。日本中の度肝を抜いた華麗な転身はまさに破天荒でドラマチック。ど真ん中には常に「野球」がある。新庄剛志が日本プロ野球界の展望を語った。AERA 2022年1月31日号から。

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――2019年に「現役復帰を目指す」と宣言し、20年12月には合同トライアウトに参加した。現役復帰はならなかったが軽快な動きをみせ、ヒットも放った。

 久々の「新庄劇場」で日本中を沸かせてから11カ月、北海道日本ハムファイターズの監督に就いた。就任会見の第一声で放った「選手兼任監督で」という「ボケ」も、もしかしてと思わせてくれる。

新庄:監督になるというストーリーは頭の中にはありました。20年にトライアウトを受けたときは、選手としてどこかのチームに拾ってもらってプレーしつつ、そのチームの守備力をアップさせたいと思っていた。間違いなくいいものを教えられるし、そこから監督、と考えていましたね。

 同時にプレーヤーとしての思いも、なんか残ってるんだよな。監督になった立場でも、あと1回トライアウトを受けられます。19年に現役復帰を宣言して、13年間何も野球をしていなかったところから1年で、肩は遠投95メートル、50メートル走も6秒1くらいで走れるところまでなった。この調子で、監督をやりながら2年くらい体を動かしたらできるんじゃないかって。

 僕が選手登録されると、ひとり選手が外されることになるから監督としては悩ましいけれど、自信はちょっとある。特に左ピッチャーのときの指名打者とかね。おもしろくないですか? 今から2年たったら52歳。実際に可能性は1%もないんだけど、伝説になりますよ。

■メンタルをサポート

――監督就任以来、その発言ひとつひとつに注目が集まる。誰もが知る圧倒的な「パフォーマンス力」の一方で、監督としての手腕は未知数だ。就任会見で放った「優勝は目指さない」という発言には賛否の声も上がった。新庄剛志が考える「監督像」とはどんなものか。

新庄:野球はチーム競技ですが、選手たちの意識はまずは個人競技でいい。個人の成績を伸ばせるように、特にメンタルのサポートをしてあげるのが監督の役割だと思っています。

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