産む側の都合が優先されていることに著者は疑問を抱く。もっと生まれてくる側の視点に立った話を描きたかったという(撮影/写真部・東川哲也)
産む側の都合が優先されていることに著者は疑問を抱く。もっと生まれてくる側の視点に立った話を描きたかったという(撮影/写真部・東川哲也)

 今年、芥川賞を受賞した李琴峰さん。その受賞第一作『生を祝う』が描くのは、出産には胎児の同意が必要な世界だ。社会に新たな問いを投げかけた著者が語った。AERA2021年12月20日号の記事を紹介する。

【写真】『生を祝う』の著者・李琴峰さん

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 生まれさせられてしまったことに対して、やり場のない怒りと絶望感を抱きながら生きてきました──。

 台湾出身の作家、李琴峰(りことみ)さん(31)は芥川賞贈呈式のスピーチでそう語った。受賞第一作となる『生を祝う』は、そのスピーチに呼応するように、子どもを産むためには、胎児の同意が必要な「合意出生制度」が義務付けられた近未来を描いた。受賞決定直後の会見で「私は自分が大事だと思っている問題意識を小説に取り込んで、自分が書きたいものを書いていくことに尽きる」と語っていたが、この作品は「生の自己決定権」や「生まれない権利」のない現代社会に、新たな問いを突きつける。李さんは言う。

「私たちは一応、個人の意思が重んじられる世の中に生きていて、さまざまなことを自分の自由意思で決めることができます。結婚や住む場所、職業だって誰かに強いられることはおそらくない。でも出生という事象だけは自分の意思ではどうにもならない。どの国に生まれるか、どの性別に生まれるか、どういうセクシュアリティーに生まれるか、国籍、人種……。私たちはいろんなことを押し付けられて生まれてきます。出産や出生に関する言説を耳にするときにはいつも親側の視点だけで語られ、生まれてくる側は生まれたいか、生まれて幸せなのかという視点が世の中から欠如している気がして、そこにずっと違和感を覚えていました」

■子どもをモノのように

 なぜ子どもが欲しいのかと聞かれたとき、「自分の遺伝子を残したいから」「自分がこの世界に生きた証しを残したいから」「好きな人の子どもがほしいから」などと答える人は、確かに少なくない。

「もちろん、それぞれの個人の考えですし、いいとか悪いとかそういうことではないけれども、子どもを一人の個人ではなく、自分の延長線上にある『モノ』のように扱っているような違和感を持っていました。そこで、もし出生すらも自分の意思でコントロールできるなら、それはどういう世界なのかという漠然とした思いがずっとあって、今回形にしました」

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