トーマス・バッハ/1953年、ドイツ(当時西ドイツ)出身。国際オリンピック委員会会長。元フェンシング選手で、76年モントリオール五輪金メダリスト(GettyImages)
トーマス・バッハ/1953年、ドイツ(当時西ドイツ)出身。国際オリンピック委員会会長。元フェンシング選手で、76年モントリオール五輪金メダリスト(GettyImages)

 中国の女子テニス選手・彭帥(ポン・ショワイ)さんが、張高麗前(チャン・カオリー)副首相からの性被害を訴えて失踪した。だが、国際オリンピック委員会のトーマス・バッハ会長は中国批判を避けている。北京冬季五輪の舞台を整える中国政府への配慮がみえる。AERA 2021年12月20日号から。

【写真】性被害を訴えた彭帥さん

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 苦しい立場に追い込まれているのが国際オリンピック委員会(IOC)だ。トーマス・バッハ会長(67)は国家事業として祭典の舞台を整えてくれている習近平国家主席の機嫌を損ねたくないのが本音だろう。


■想定内の「ボイコット」


 米国に続き、英国、オーストラリア、カナダなども足並みをそろえた「外交ボイコット」の範囲なら想定内だったと思う。選手団さえ世界から集えば、大会には支障がないからだ。


 米政権の発表後、IOCがすぐに「政府関係者や外交官の出席は純粋に各国政府の政治的な決断であり、IOCは政治的中立を全面的に尊重する」とし、


「この声明は五輪、そして選手の参加が政治を超えるものであることを明確に示し、私たちは歓迎する」


 と声明を出したことから、それがうかがえる。


 東西冷戦期の1980年モスクワ五輪では、ソ連のアフガニスタン侵攻に対する制裁で日米など西側諸国が参加しなかった。84年ロサンゼルス五輪(米国)はソ連をはじめ共産圏の国々がボイコットした。しかし、それ以降、選手団のボイコット合戦は姿を消している。


■中国の意に沿ったのか


 ただ、「彭帥問題」は火種としてくすぶり続ける。そもそも、IOCは初動が遅れた。バッハ会長は当初、沈黙を決め込んだ。五輪に3度出場した彭帥さんの勇気ある告発を無視することは「アスリートファースト」の精神、そして、あらゆる差別を禁じる五輪憲章との矛盾が際立ってしまった。世界のメディアは一斉に、その矛盾を突く論評の記事を書き立てた。


 IOCは11月21日、バッハ会長らが彭帥さんと30分ほどオンラインで話し、


「北京の自宅にいて、元気で安全だと説明している」


 と発表した。音声や動画はなく、彭帥さんの性被害の告発には言及していない。バッハ会長はコメントすら出さず、IOCアスリート委員長にその役目を押しつけた。対談の「証拠写真」は会長の背中越しの構図で、会長の表情すら読み取らせなかった。

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