12日の天皇杯準決勝・浦和戦でシュートを放つセ大阪の大久保嘉人
12日の天皇杯準決勝・浦和戦でシュートを放つセ大阪の大久保嘉人

 サッカーJ1リーグ通算191ゴールは歴代1位。受けたイエローカードは同じくJ1最多の計104枚。ゴールへの嗅覚(きゅうかく)と気迫を前面に押し出したプレーで記録にも記憶にも残る希代のストライカーがスパイクを脱いだ。現役ラストマッチとなった天皇杯準決勝から一夜明けた12月13日、セレッソ大阪の大久保嘉人選手(39)にオンラインで思いを聞いた。

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――昨日の試合後には「『もうキツイことしなくていいや』って気持ちになると思う」と話していました。実際にラストマッチから一夜明けてどうでしょうか。

 やっと終わりました。まだ終わった実感はないけれど、最高ですよ。サッカーは楽しかったし、いろんな経験をさせてもらった。最高の現役生活でした。それでも、プレーを始めてから30年以上ずっとサッカーばかりやってきたから、ようやく違うことができるのがうれしいですね。

――2001年にデビューして以来、プロ生活21年。国内6チームを渡り歩き、世界屈指のスペインリーグ、ドイツリーグでもプレーしました。Jリーグではゴール数、マルチゴール(1試合2得点以上)の回数、イエローカード、シュート数など様々な記録をつくりました。

 ゴール数もイエローカードも、そのすべてが大久保嘉人です。どれが欠けても僕じゃない。すべてが思い出です。これだけ長く現役生活を続けてこられたのは、「負けたくない」という気持ちを持ち続けたからです。この性格、その気持ちがなければ、「おもしろくないなあ」「稼げないなあ」と思ってやめていたと思う。

――闘志を前面に出したプレーで「荒れくれ者」のイメージもありました。一方で、引退表明後のインタビューでは、「気性の荒い大久保嘉人を見せていた」とも語っていました。

 他の選手と同じことをやっていても目立たない。プロになったからには、注目されなきゃ何の意味もありません。そもそも僕は有名になりたい、注目されたい、ヒーローになりたいという思いでやってきました。

 そんな思いはプロに入ったときからありました。18歳でセレッソ大阪に入って、4月の試合(4月14日、ジュビロ磐田戦)で初めてゴールを決めたけれど、そのあとにレッドカードで退場しました。たまたまそうなってしまったのですが、翌日の各紙がデカデカと僕のことを載せてくれた。注目されたのはプレー以外の部分だったけれど、そのときに、「こういうことが人の興味を惹くのか。これはチャンスだな」と思った。これを貫き通そうと決意しました。そのイメージで21年やって来ました。

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川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

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最後の試合に3万人以上の観客