東京都北区の渋沢史料館。史料館と晩香廬、青淵文庫の内部見学にはオンラインによる事前予約が必要。月曜が休み(撮影/古根可南子)
東京都北区の渋沢史料館。史料館と晩香廬、青淵文庫の内部見学にはオンラインによる事前予約が必要。月曜が休み(撮影/古根可南子)

 一方、インドの作家タゴールを自邸に迎えたときなどは、羽織袴に山高帽という「和洋折衷」。晩年に自邸でくつろぐ写真は、もっぱら和装だ。

「新しい物を毛嫌いせず取り入れ、かといって古い物も壊すことなく柔軟に使い分けるしなやかさが、栄一の持ち味と言えます」

 と史料館の川上副館長。栄一の精神的支柱であった論語の「故(ふる)きを温(たず)ねて新しきを知る」、温故知新の思想は、日常の装いにも表れていた。

■妻に短髪・洋装の写真

 史料館で来年1月30日まで開かれている企画展示「渋沢栄一から妻千代への手紙」には、フランスの栄一から千代へ送られてきた、短髪・洋装の写真が展示されている。千代は短髪姿の栄一を恥じ、手紙で「元に戻して」と嘆願した。しかし、栄一と千代の長女、歌子の回想文によると、尾高惇忠が次のように妹を諭したという。

「その国を知ろうとするには、その国の人と親しむことが肝要。(中略)姿はどんなに改めるとも、大和魂を失うような篤太夫(栄一)さんではない」

 史料館を運営する渋沢栄一記念財団のウェブサイトには、栄一の関連文献を集めた膨大なデータベースがある。その中に、こんなエピソードがあった。

 栄一は社会貢献事業に熱心に取り組み、身よりのない子どもらを集めた養育院長を57年間にわたって務めた。養育院の写真撮影の際、栄一が比較的カジュアルな縞(しま)の羽織姿だったため、関係者が紋付きの羽織に替えるよう頼んだ。栄一は「なるほど」と答えると、羽織だけでなく、袴を着けた第一級の正装に着替えて現れたという。

「(渋沢翁は)『これでよいかね』とおっしゃった、良いどころではない良すぎる位である」(東京市養育院月報)

 この後「おかしくもないのに笑えないよ」と言いながらも、ニコリとしたところを撮影されたという。このとき、91歳。最晩年に至ってなお、人の意をくむため労を惜しまない様子に感嘆させられる。その約2カ月後の11月11日、永眠した。(フリーライター・有馬知子)

AERA 2021年12月13日号