戸辺誠が将棋界の先輩たちから学んだのは、後進に対して盤上では厳しくとも、盤外では優しいというよき伝統。現在の戸辺は多くの後輩や弟子たちに慕われる立場だ(撮影/写真部・高野楓菜)
戸辺誠が将棋界の先輩たちから学んだのは、後進に対して盤上では厳しくとも、盤外では優しいというよき伝統。現在の戸辺は多くの後輩や弟子たちに慕われる立場だ(撮影/写真部・高野楓菜)

 AERAの将棋連載「棋承転結」では、当代を代表する人気棋士らが月替わりで登場します。毎回一つのテーマについて語ってもらい、棋士たちの発想の秘密や思考法のヒントを探ります。渡辺明三冠(名人、棋王、王将)、森内俊之九段(十八世名人資格者)、「初代女流名人」の蛸島彰子女流六段らに続く9人目は、「名人の弟分」の戸辺誠七段です。発売中のAERA 12月6日号に掲載したインタビューのテーマは「影響を受けた人」。

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「チーム渡辺、戸辺誠七段」

 第4回ABEMAトーナメントのドラフト会議。女性アナウンサーは渡辺明名人(37)の指名した棋士の名を読み上げた。実況担当者はここで、なにか気の利いたコメントを言うべきだろう。しかし口をついて出たのは、ただ一言だけだった。

「マジ?」

 実況席に座る戸辺誠は、そう言って絶句した。

「すごいサプライズだったんです。『渡辺と戸辺は仲がいいから、事前に話を合わせてたんじゃないの?』と思われたかもしれません。でも違うんですよ。もしわかってたら、もうちょっといいコメントを言えたはずです(苦笑)」

 3人1チームの団体戦である同トーナメント。チームリーダーを務めるトップクラスの棋士は、2人のチームメートをドラフト形式で選ぶ。

「私は実況を務めてきましたが、1回は選手として出たいと思っていました。でも渡辺さんに『お願いします』とは言えなかったんです。それほど実績もないですし」

 戸辺はそう謙遜するが、順位戦ではB級2組に所属する実力派だ。いくら個人的に名人と親しかったところで、弱ければメンバーに選ばれない。
 両者の親しい付き合いは、今から20年ほど前、渡辺が新進気鋭の若手棋士、戸辺が修業中の奨励会員だった頃にまでさかのぼる。

「2歳上で親しかった村山慈明さん(七段、37)が渡辺さんを紹介してくれました」

 渡辺は1994年に小4で、村山は95年に小5で小学生名人になったエリートであり、同い年で親友の間柄だった。そこに弟分として戸辺が加わったことになる。

とべ・まこと/1986年8月5日生まれ、35歳。2016年、七段昇段。パワフルな攻撃は「戸辺攻め」と呼ばれる。振り飛車党で関連著書多数。現在はNHK将棋フォーカスで講師を担当中
とべ・まこと/1986年8月5日生まれ、35歳。2016年、七段昇段。パワフルな攻撃は「戸辺攻め」と呼ばれる。振り飛車党で関連著書多数。現在はNHK将棋フォーカスで講師を担当中

「渡辺さんが高校を卒業して一人暮らしを始め、タイトル挑戦者になり、伊奈めぐみさんと結婚して……。ずっと近くで渡辺さんを見てきました。渡辺さんはいつでも泊めてくれるし、ごはんもごちそうしてくれる。頼めば将棋も教えてくれる。私が一人暮らしを始めるときには『うちの家具、全部持っていっていいよ』って言ってくれて、レンジ、冷蔵庫、炊飯器、自転車、全部もらっていったんですよ。一生頭が上がらないです」

 渡辺は2004年、20歳の若さで竜王位に就く。以後はずっとトップクラスの棋士として活躍してきた。一方の戸辺は三段リーグで苦戦し、なかなか四段に上がれなかった。

「渡辺さんからはけっこう厳しいことを言われました。『君は勉強しているつもりになっているだけ。みんなとワイワイ検討しているのは楽しんでいるだけ。本当に棋士になるために、家にしっかりこもって、もっと負荷をかけてつらい勉強をしなきゃいけない』」

 発奮した戸辺は06年、晴れて四段昇段を果たす。

(構成/ライター・松本博文)

※11月29日発売のAERA2021年12月6日号では、戸辺誠七段がABEMAトーナメントで、リーダーの渡辺明名人から酷評されたり、逆にほめられたりしたことについても触れています。

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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