村上茉愛(むらかみ・まい)/1996年生まれ。リオ五輪に出場、東京五輪では銅メダルを獲得。今年の世界選手権では種目別ゆかで金メダルに輝いた。現役引退後は指導者の道に進む[撮影/蜷川実花、hair HIROKI(W)、make up 早坂香須子、styling 大和田ゆき、costume KLOSET(H3O ファッションビュロー)]
村上茉愛(むらかみ・まい)/1996年生まれ。リオ五輪に出場、東京五輪では銅メダルを獲得。今年の世界選手権では種目別ゆかで金メダルに輝いた。現役引退後は指導者の道に進む[撮影/蜷川実花、hair HIROKI(W)、make up 早坂香須子、styling 大和田ゆき、costume KLOSET(H3O ファッションビュロー)]

 東京五輪で銅メダル、世界選手権では2度の金メダルに輝いた。「日本女子として初」がつく功績をいくつも残し、名を歴史に刻んだ。だが、体操人生は決して順風満帆ではなかった。AERA 2021年11月29日号から。

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――最初に脚光を浴びたのは2010年。14歳のとき、得意のゆかで全日本チャンピオンになった。日本の女子は「脚力が弱い」といわれていた中、132センチ、30キロの小さな体で高々と跳び上がり、高難度の宙返りを連発。まさに「ゴムまり」が弾むような演技で見る者を驚かせた。池谷幸雄(ソウル、バルセロナ両五輪メダリスト)の体操クラブの1期生という話題性もあった。

 あれから11年ですよね。あの頃は人より筋力があって、体も丈夫でした。このままポン、ポン、ポンと上にいくのかなと思っていました。

――13年には、初出場した世界選手権のゆかでいきなり4位に入った。だが、ここから苦悩が始まる。

 日本に帰ってきてから燃え尽きた感じになってしまって、体操に真剣に取り組まなくなっちゃいました。仮病を使って練習を休んだこともありました。もともと気分屋でコツコツ練習を積めない弱さがあるのも自分でわかってはいたんです。でも、指摘してくれる人がいないからと、甘えていました。

――翌年は国内最高峰のNHK杯で4位に沈んだ。高校3年生。女性として体に変化が現れる時期と重なり、減量にも苦しんだ。当時、母がこっそり見たノートには「こんなんじゃ、死んだ方がましだ」と書かれていたという。

 今じゃ考えられないですけど、重量が軽いものを食べれば体重が増えなくて、体が動くと思っていたんです。だから、ごはんを残して、隠れてお菓子を食べていました。だらしないアスリート、っていうか、アスリートですらなかったですね。「村上茉愛は終わった」っていう声も聞こえてきたし、私自身もそう思っていました。

「考えを改めなさい」

――それでも、大学は練習が厳しいことで知られる強豪の日体大を選んだ。

 社会に出て普通に仕事につけるように、とりあえず大学に行って卒業しておこうという思いがあった一方で、弱い自分を変えたいという気持ちもありました。日体大に入れば、立て直してくれるかなと(笑)。「もう、このままでいいや」と投げやりなことを言いながらも、心の底で諦めていなかったのは、体操が好きだったからだと思います。

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