ロンドンのアップル・ビル屋上での伝説的ライブ。発売された公式本によると、演奏を収めたテープを聴いたメンバーは出来に満足した
ロンドンのアップル・ビル屋上での伝説的ライブ。発売された公式本によると、演奏を収めたテープを聴いたメンバーは出来に満足した

 解散して50年たった今なお、多くのファンを抱えるザ・ビートルズ。彼らが歩んだ道程を改めて振り返ると、その紆余曲折ぶりが見えてくる。AERA 2021年11月15日号から。

【年表】ザ・ビートルズの解散をめぐる出来事はこちら

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 1969年のビートルズは紆余曲折の道をたどる。

 1カ月に及んだ1月のセッションでの曲をまとめたアルバム制作を、録音作業を仕切ったグリン・ジョンズに依頼。ジョンズは「ゲット・バック」と題したアルバムを5月末に作るがビートルズ側は却下、アルバムは棚上げされる。

 これとは別にビートルズは7月に新しいアルバム制作に本格着手。9月に発売された傑作「アビイ・ロード」だ。

「この二つのアルバムは実はひとつながりだったのでは」

 と指摘するのはビートルズ研究家の野咲良さん(51)。1月のセッションでも取り上げられた「アイ・ウォント・ユー」などの曲は、最終的には「アビイ・ロード」に収録されるが、2月以降も録音作業が続いており、アルバム「ゲット・バック」に収録される可能性があったとみる。

「しかし、5月初めにビートルズは『ユー・ネヴァー・ギヴ・ミー・ユア・マネー』を録音、短い曲をつなぐメドレー構想が生まれ、『アビイ・ロード』制作を決めたのでは」

AERA 2021年11月15日号より
AERA 2021年11月15日号より

 一方、1月のセッションを密着撮影した映画「レット・イット・ビー」の制作が決まり、アルバム「ゲット・バック」改訂にジョンズは着手、70年1月に完成させたがまたも却下。別のプロデューサーにより大規模に手が加えられ、5月、「レット・イット・ビー」の題で発売、続いて映画も公開された。

 だがこの時点で、ジョンは内々に、ポールはマスコミ向けの報道資料で脱退を告げていた。ビートルズはすでに終わっていたのである。

AERA 2021年11月15日号