政治学者、原武史放送大教授(c)朝日新聞社
政治学者、原武史放送大教授(c)朝日新聞社

 こうした点で美智子妃の生き方は、同様にバッシングを浴びた眞子さんの姿勢にプラスの影響を及ぼしているともいえますが、逆の見方もできると思います。

■コロナ禍で空白

 美智子妃は、平成の初期に起こった度重なるバッシングでもつぶれませんでした。むしろ、天皇とともに7週連続で被災地を回った2011年3月の東日本大震災以降、「平成流」を完全に定着させました。2016年8月には、天皇自身が「象徴としてのお務めについての天皇陛下のおことば」を発表し、宮中祭祀と行幸ないし行幸啓を象徴天皇の務めの二大柱に位置づけました。「全身全霊をもって」国民のために尽くす、つまり私よりも公を優先させることが皇室の務めだとしたわけです。

 現在はまだ、平成から令和になってまだ2年あまりしかたっていません。自然災害が起きればすぐに現地に向かったり、福祉施設を訪れたりして国民の一人一人に寄り添おうとする前の天皇と皇后の姿は、いまなお脳裏に鮮明に焼き付いています。ところが、令和になった途端、コロナ禍があって「平成流」が十分にできなくなり、結果として空白が生まれた。

 平成のときには地方を回って人々に直接会えたのに、令和になった途端にそれができなくなったのは、現天皇や現皇后だけではありません。眞子さんもそうでした。

 そんななかにこの結婚問題が起り、眞子さんの姿がクローズアップされた。それとともに、ネットやSNSでバッシングが高まった。

■「平成流」が倫理性帯びた

 もし、令和になっても平成と同じように地方を訪れ、人々に直接会えていれば、バッシングしているのは一部の人々にすぎないという実感を持てたかもしれません。しかし、コロナ禍によってそれが全くできなくなり、逆比例してネットやSNSでの声ばかりが高まると、まるでそれこそが本当の現実であるかのように錯覚されてしまい、眞子さんを苦しめたように思います。

 1960年代に美智子妃が始めた「平成流」は、昭和天皇のように人々から隔絶したスタイルを否定し、戦後の象徴天皇制に見合ったスタイルを模索するなかで生まれたものでした。ところが、それが60年近くも続くことで恐ろしく倫理性を帯びるようになり、変えてはならない規範のように映ってしまった。

 これもまた、眞子さんにとっては不幸の原因になったともいえるのではないか。「平成流」こそが理想の皇室と考える人々にとっては、彼女の振る舞いはそこからひどくかけ離れたものに見え、「自分の感情を優先させている」と思われてしまったように見えるからです。

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なぜ女性皇族に批判が向かうのか