学生の建築デッサンを講評するサコ。ともに授業を受け持つアンドレア百合フロレス漆間は約20年前の京大時代からサコを知る。「サコ先生はいつもオープンで親しみやすい人柄だから、学生たちは安心して相談やアイデアを話すことができます」(撮影/楠本涼)
学生の建築デッサンを講評するサコ。ともに授業を受け持つアンドレア百合フロレス漆間は約20年前の京大時代からサコを知る。「サコ先生はいつもオープンで親しみやすい人柄だから、学生たちは安心して相談やアイデアを話すことができます」(撮影/楠本涼)

教育熱心な一家に育つ
高校卒業後に中国へ留学

 この日の最後にサコは、「私とは何者か?」と題したスライドを映し出してこう述べた。

「日本がいま排他的になっているのは、一人ひとりが自信を失っているからではないか。自信を持つには、自分が何者かを知ることが大事です。答えの見えない世の中を生きるあなたたちは、自分の変化を恐れず、他者との交流を通じて、自分の『ヴォイス』を持つことを目指してください」

 サコが91年に来日してから30年が経過し、バブル景気の浮ついた空気が漂っていた時代から、日本は大きく様変わりしている。

 世界の国々が成長するなかで、日本だけは長期にわたり停滞し、「ジャパン・アズ・ナンバーワン」と言われた経済力はすっかり地に落ちた。今年春には、中国のアニメ会社が日本の平均的なアニメスタジオに比べて3倍もの給料をアニメーターに支払っていると報道されたが、日本はアジアの諸外国と比べても「安い国」となりつつある。

 これまでの日本には、ジャパンマネーを求めて多くの外国人が出稼ぎに来た。しかしこれからの日本では、若者の多くが可能性を求めて海外に出て、その地で根を張って生きることが今よりも普通となるだろう。そんな前例がない時代を生きる若者にとって、サコのこれまでの歩みは「多様な生き方」のヒントとなるかもしれない。

 サコは66年、西アフリカのマリ共和国の首都、バマコに生まれた。父は税関で働く国家公務員で、専業主婦の母と妹と弟の5人家族。だが家族以外に家にはいつも、30人ほどがいて、同じかまどのご飯を食べていたという。サコによれば「マリでは親戚の知り合いなど、よくわからない繋がりの人が家を訪れ、そのまま何カ月も居座ることが珍しくない」という。

「マリでは子どもは『地域の子』として育てられる。幼児から家を手伝うのが普通で、いたずらが見つかれば、親でも先生でもない『お前誰やねん』という大人に叱られることも日常でした」

次のページ