「この1年余りコロナにかかわって直面したのは、どこでも人が足りずに新しいことを考える余裕がない、全体の絵が描けていないから、アナログなところに予算を突っ込んで、お金が溶けてしまっているという現実でした。ただそう嘆いているだけでなく、それでも何か自分たちにできることはある、変えられるところから変えていこうよ、というのがシビックテックなんです」(関)

 シビックテックという考え方は米国で始まった。予算不足でデジタル化が遅れ、行政サービスが低下していた自治体のために、エンジニアたちが無償で働くことで地域の課題解決に繋がっていた。

 コロナの感染拡大の中で、デジタル化の威力を見せつけたのが台湾や韓国だった。台湾ではIT担当大臣のオードリー・タンが中心となり、シビックハッカー(市民エンジニア)たちが即座にマスクの在庫を管理するマップや公平に行き渡るようにするサイトを立ち上げた。台湾では12年、政府に情報公開を求めて政治の透明性を高め、デジタルの力で民主主義を進めようとするg0v(ガブ・ゼロ)という活動が生まれ、世界有数のシビックハッカーコミュニティーが育っていた。このデジタル民主主義の象徴的人物がタンだ。

 そのタンは都のサイトに対して、中国語表記の文字の変更を提案した。オープンソースだからこそ、台湾からも開発に参加できたのだ。タンにCfJの活動についてメールでコメントを求めると、数日で返事がきた。

「CfJの活動はパートナーたちと協力できれば、革新的で包括的で持続可能なデジタル開発に繋がるという好循環を示しました。言い換えれば、様々なセクターや役割の人々が力を合わせた時にのみ、デジタル開発はより速く高く強力なレベルで進めることができるということです」

(文・浜田敬子)

※記事の続きは2021年9月20日号でご覧いただけます