山岳地帯を進むTJARの選手。途中にコース案内はなく、自力でゴールを目指さなければならない(撮影/Kei Tsuji)
山岳地帯を進むTJARの選手。途中にコース案内はなく、自力でゴールを目指さなければならない(撮影/Kei Tsuji)

 日本アルプスを越え、400キロ超の道を歩むトランスジャパンアルプスレース。自らを極限に追い込むこの競技。それでも、選手たちを駆り立てるものとは。

*  *  *

「日本一過酷」と称される山岳レース「トランスジャパンアルプスレース(TJAR)2020」が、コロナ禍による1年の延期を経て8月8日にスタートした。富山湾に流れ出る早月川河口をスタートし、日本アルプスを越えて静岡県の大浜海岸まで。舗装路217キロ、登山道198キロの総距離415キロを制限時間8日間(192時間)で駆け抜ける。登りの標高を合計した累積標高差は富士登山18回分に相当する2万7千メートル。一般の登山愛好家なら、登山道だけで2週間以上かかる長大な道のりだ。

 マラソンやトレイルランニングのレースと違い、コース案内もエイドステーション(救援所)もない。コンビニなどでの買い物は自由だが、宿泊はツエルト(簡易テント)などを使った野営のみ、安全対策もトラブル対応も全て自己完結が求められる。選手にもよるが、3時間程度の睡眠で行動し続ける人もいる。ゴールする頃には足裏の皮はふやけてボロボロになり、マメは潰れ、歩くこともままならない。ときに幻覚を見ることさえある。完走者は、まさに「鉄人」と呼ぶにふさわしい。残念ながら今回は台風9号の影響のため途中で中止となったが、主催者や参加者たちは、このレースに並々ならぬ思いを注いできた。

■限界を突き詰める場

 想像しがたい過酷な世界に、選手たちは何を求めているのか。実行委員会代表の飯島浩さんはレースの魅力をこう話す。

「TJARは自分の限界を突き詰められる場です。自分のすべてをさらけ出さなければ完走できないけれど、自分がこれだけできるんだという可能性もはっきり感じられる。それこそがこのレースの最大の魅力です」

 そして、ロマンがある。

 日本海から太平洋まで、北アルプス・中央アルプス・南アルプスを越えて歩き通したい──。そう夢想する登山者は少なくない。TJARの始まりも、創始者・岩瀬幹生さんが抱いたそんな「夢」だった。岩瀬さんは2002年、4人の仲間と共に1回目を開催する。仲間内の草レース、ゴールできたのは岩瀬さんひとりだけだった。

著者プロフィールを見る
川口穣

川口穣

ノンフィクションライター、AERA記者。著書『防災アプリ特務機関NERV 最強の災害情報インフラをつくったホワイトハッカーの10年』(平凡社)で第21回新潮ドキュメント賞候補。宮城県石巻市の災害公営住宅向け無料情報紙「石巻復興きずな新聞」副編集長も務める。

川口穣の記事一覧はこちら
次のページ