長女が酸素ボンベを初めて学校へ持って行った日。長女の体調は万全だったが、看護師や管理職全員で情報共有をし、酸素ボンベをつける練習も行った/江利川さん提供
長女が酸素ボンベを初めて学校へ持って行った日。長女の体調は万全だったが、看護師や管理職全員で情報共有をし、酸素ボンベをつける練習も行った/江利川さん提供
江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ
江利川ちひろ/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ

「インクルーシブ」「インクルージョン」という言葉を知っていますか? 障害や多様性を排除するのではなく、「共生していく」という意味です。自身も障害を持つ子どもを持ち、滞在先のハワイでインクルーシブ教育に出会った江利川ちひろさんが、インクルーシブ教育の大切さや日本での課題を伝えます。

【写真】筆者の江利川ちひろさん

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■医療ケア児の学校生活の課題

 人工呼吸器や胃ろうなど、医療的ケアが必要な子どもたち(医ケア児)は全国に2万人以上いると推計されています。この10年間で約2倍に増えました。今年6月には医療的ケア児支援法が成立し、支援の輪が広がりつつも、依然として学校現場での保護者の付き添いは大きな課題になっています。

 我が家の長女は現在、酸素ボンベを持ってスクールバスで特別支援学校に登校しています。酸素導入が決まってから、約半年かけての話し合いの結果、前例がなかった「看護師さんによる酸素の流量調整」を学校が認めてくれたからです。

 2019年6月、長女が風邪から気管支炎を起こし入院しました。

 幸い、症状はとても軽く、すぐに熱が下がり咳も引きました。けれども、なぜか解熱から5日経っても、SpO2値(酸素飽和度)が安定しないために酸素マスクを外せず、退院の目途が立ちませんでした。

 担当医からは、これが気管支炎の影響なのか、持病の側弯の進行で入院前からSpO2値のベースが下がっていたのかを見極めたいと言われました。胸部CTを撮ると、右肺が4分の1ほど潰れていることがわかりました。

 ただ、酸素療法を始めれば、「日常生活は十分可能」とのことで、在宅酸素を導入して退院できたのですが、自宅内の環境が整っていく中、通学面だけが全く進みませんでした。

■「お母さんが週5で付き添っています」

「この学校では、まだ酸素ボンベを持って単独で登校しているお子さんはいません。酸素が必要な方はお母さんが週5で付き添っています。どうしても付き添いが無理なら、病院内にある分校に転校することもできますよ」

 実は私はその前年、日本特殊教育学会のシンポジウムで、かるがもCPキッズの医療的ケア児の通園通学状況を発表していました。当時はまだ自分の知識も乏しく、ヒアリングをする中で、胃ろうや痰の吸引と気管切開などの呼吸器疾患では通学環境に大きな差があると知り、単独登校を願うママたちの言葉を懸命に伝えることに徹したのですが、この時我が家に起きたことは、正に発表内容そのものでした。

 地域の学校の通常学級ならともかく、長女が通っているのは、看護師さんが7名も常駐している特別支援学校です。

 家族支援を専門とする大学教授のやすこ先生と、小児科医の友人あーちゃんにも相談しながら、国の指針や他県の情報を集めて再度投げかけたところ、ようやく校内での酸素導入を目指して、話し合いの場を設けてもらえることになりました。

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江利川ちひろ

江利川ちひろ

江利川ちひろ(えりかわ・ちひろ)/1975年生まれ。NPO法人かるがもCPキッズ(脳性まひの子どもとパパママの会)代表理事、ソーシャルワーカー。双子の姉妹と年子の弟の母。長女は重症心身障害児、長男は軽度肢体不自由児。2011年、長男を米国ハワイ州のプリスクールへ入園させたことがきっかけでインクルーシブ教育と家族支援の重要性を知り、大学でソーシャルワーク(社会福祉学)を学ぶ。

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「ナースは会議に出席しません」