武田:7月23日に「東京オリンピック2017 都営霞ケ丘アパート」という映画が公開になります。国立競技場の隣にあった都営霞ケ丘アパートに住む人々を追ったドキュメンタリーですが、新国立競技場をつくるから出てってくれと言われた人たちは、何十年もそこに住み、住民同士で助け合いながら小さなコミュニティーを守り抜いてきた。そういう場所を「でっかいお祭りやるのでアパート潰します」と一方的に通達して追い出した。こういった無慈悲な行為を改めて考える必要がある。

■「復興五輪」名目が奇妙

武田:「復興五輪」という名目自体、奇妙です。東北が復興するためには東北にお金をかけなければいけない。東京でお金をかけたお祭りをやるので、東北の人たち、それで元気になってください、というのはおかしい。オリンピック開幕というスタート地点に強引にたどり着くまでに、どういった強引な動きがあったのか、誰がどう痛んできたのかを振り返らないといけない。この10年、東日本大震災があって、長期政権が続き、コロナ禍になった。人の営みがガリガリと削られていると感じることばかりでした。

安田:オリンピック招致が決まった時に、家族の縁で通っている岩手県陸前高田市の仮設住宅にいたんです。ちょうどそのニュースを仮設住宅で暮らしている人と見ていたのですが、ある年配のおばあちゃんが「オリンピックなんて外国のことみたい」っておっしゃったんです。その言葉がすごく象徴的で。誰の何を置き去りにしてまでこのオリンピックをやるのかということが浮き彫りになった言葉だと思いました。

武田:どうしてもやりたいんだったら、「いろいろ無茶だってわかってるけど、オレ、どうしてもやりたいんだ」って言った上で、反論を受け付けるならばまだいいと思う。そういうことさえしないわけです。安倍(晋三)さんと菅(義偉)さんの共通点だと思っているのは、とにかく一問でも少なく質疑応答を終わらせたいという姿勢です。ぶら下がり取材でも、自分の話が終わるか終わらないかのタイミングで、体を90度曲げて立ち去る。その反射神経はなかなかのものです。

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