姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史
姜尚中(カン・サンジュン)/東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史

 政治学者の姜尚中さんの「AERA」巻頭エッセイ「eyes」をお届けします。時事問題に、政治学的視点からアプローチします。

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 緊急事態宣言が発出されたなかで五輪が開催されようとしています。コロナ禍が始まって1年数カ月。政府与党の対応は、根拠のない希望的観測と楽観論によって支えられてきました。

 その結果、科学的な合理性に基づく診断と、それに対応する戦略、政策の動員、検証とそれに基づく柔軟な戦略の見直しなど、一連の政治過程のフィードバックが目詰まりを起こしました。時々の官邸の都合で対策が打ち出され、場当たり的な対応が積み重ねられることになったのです。

 アルコール類を提供する飲食関連の業者に金融機関から「圧力」を加えてもらおうとする姑息(こそく)な措置も、内閣ぐるみの政策であったことが明らかになりつつあります。世論の反発が強くなるとすぐに引っ込めてしまう朝令暮改の体質が明らかになりました。これも「選挙戦略」に有利か不利かで全てが決まってしまう矮小(わいしょう)な政治の結果です。

 五輪開催も選挙に有利かどうかで決められているはずです。そうにらんでいるからこそ、あの1972年のミュンヘン五輪のように、多大な犠牲者が出るとしても強行しようとする力学が働くのでしょう。

 もちろん、テロによる犠牲者を出したミュンヘン五輪と、今回のパンデミック下の東京五輪とを同列に論じることはできないかもしれません。しかし、今回の五輪開催強行のしわ寄せが、感染者の増加や医療逼迫(ひっぱく)につながりかねないことは、専門家が予測しています。

 それでも五輪開催という強行突破に出るのは、選挙に有利になると踏んでいるからでしょう。結局、スポーツの祭典で日本列島が感動に包まれれば、有権者は自分たちのところに戻ってくると値踏みしているのです。

 ただ、都内の新規感染者が1日あたり2千人を上回って医療現場が大変な逼迫に陥り、さらにハイブリッドな新型株発生の危険性が高まった場合、選挙に不利に働く可能性があります。そうなれば開催中でも中止の選択が浮上するかもしれません。

 それが選挙の重圧が生んだ結果であれば、逆説的ですが民主主義はまだ働いていることになります。もちろん、それには大きな犠牲が伴うはずで、悲しくも気が滅入(めい)るばかりです。

姜尚中(カン・サンジュン)/1950年本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

AERA 2021年7月26日号

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姜尚中

姜尚中

姜尚中(カン・サンジュン)/1950年熊本市生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科博士課程修了後、東京大学大学院情報学環・学際情報学府教授などを経て、現在東京大学名誉教授・熊本県立劇場館長兼理事長。専攻は政治学、政治思想史。テレビ・新聞・雑誌などで幅広く活躍

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