「当時、緊急事態宣言が出ても、飲食店に全面休業要請は出ませんでした。要請がないのだから補償もない。店主たちの良心に訴え、対応を丸投げしたかのようでした」

 けっして楽ではない仕事を井川さんに決意させたのは、東日本大震災のときに「自分に何かできないか」と思いながら、そのままになっていたという記憶があったからだ。

「シェフは店のリーダーです。店で働く人やお客様のために、どんなに状況が不確定であっても、今日、どうするのかを決めなくてはなりません。正解が見えない中で苦悩するシェフたちの話を、書記係として、心を揺らしながら聞くことに徹しました」

 本書に登場するお店は、一人店主のバー、町のイタリアンからミシュランの星付きレストランまで、規模も背景もさまざまだ。個々の店によって、まったく状況が違うことがよくわかる。

「これまでの取材を通じて、お客や地域との信頼関係を築いていると思ったお店を選びました。自分自身が『この人の考えを知りたい』と思ったシェフたちです。みなさん、普通だったら出したくないはずの経営の悩みや資金のことまで、あかしてくれました。同じように苦しむ仲間の参考になれば、という気持ちで話してくれたのだと思います」

 読み進むうち、コロナ禍を精一杯、誇り高く生きるシェフたちの姿が、困難が続く今、私たちを照らす灯火のように見えてくる。(ライター・矢内裕子)

AERA 2021年7月19日号