両者60秒未満で指さなければならない一分将棋。渡辺は金を打って藤井玉に迫る。渡辺は近年、AIを駆使した深い序中盤の研究で知られるが、終盤も超一流だ。だからこそ「現役最強」と言われるまでに勝ち続け、棋界の頂点に君臨している。

■最強の挑戦者返り討ち

 記録係の秒読みの声が響く中、藤井は飛車を逃げた。そこは渡辺の馬(成角)にただで取られるところだ。

「ひえー。すごいですね」

 解説の高段棋士が驚きの声をあげた。もし並の18歳四段が終盤の競り合いの中、百戦錬磨の名人を相手にこの妙手を指して勝てれば、生涯たたえられるだろう。しかし18歳九段目前の藤井はそんな妙手を、トップクラスの棋士たちを相手に、数カ月に1度のペースで量産しているようにも見える。

 渡辺は頭に手をやり中空を見つめた。勝ちは見つからない。58秒まで読まれ、馬で飛車を取る。途端に馬の利きがそれ、渡辺玉に詰みが生じていた。

 藤井は王手を続けていく。表情はずっと変わらない。渡辺は腕を組んで、また何度か中空を見上げた。

「負けました」

 100手目の桂打ちを見て、渡辺は投了。歴史的な五番勝負は幕を閉じた。

 昨年、藤井に棋聖位を奪われた渡辺は今年「最強の挑戦者」としてリターンマッチに臨んだ。しかし結果は3連敗で返り討ち。渡辺はタイトル戦登場39回目にして、初のストレート負けを喫した。渡辺はコメントを求められると伝法な調子で返した。

「フルセットだろうがどう負けようが、そこの違いにあまり意味はないと思うので」

 渡辺の本音であろうがやはり3タテは衝撃的だ。通算対戦成績も藤井の8勝1敗となった。(ライター・松本博文)

AERA 2021年7月19日号より抜粋

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松本博文

松本博文

フリーの将棋ライター。東京大学将棋部OB。主な著書に『藤井聡太 天才はいかに生まれたか』(NHK出版新書)、『棋承転結』(朝日新聞出版)など。

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