そして受けたのが、89年に公開となる「ミステリー・トレイン」のオーディションだった。だが、受けた時点では、どういう映画になるか、何も明かされていなかったという。

「ジャームッシュが日本人のキャストも入れた映画を作る、というだけで、ほかは何も知らなかった。内容はもちろん、どこで撮るかとか、誰が出るかとか、そういうのも、まったく」

 オーディションでは「音楽とファッションの話しかしなかった」ため、落ちたものと思っていたというが、「ミステリー・トレイン」はまさに永瀬さんが当時聴いていたという音楽、エルヴィス・プレスリーやカール・パーキンスといったミュージシャンの聖地である、メンフィスを舞台とした映画だった。

「ジムも初めて日本人のキャストを演出するというので、撮影開始の10日くらい前だったかな、早めに現地に入りました。言ってしまえばリハーサルなんですけど、普通のホン読みとちょっと違って。ジムがまず言うには『僕は日本人ではないから、日本語のセリフとか行動とかで、日本人がやらないことがあったらどんどん言ってほしい』と。常にもっといいアイデアはないか聞いてくれるんです。それで、こういうのはどうだ、ああいうのはどうだ、って出すと、あ、それ面白いね、じゃ、ちょっとこのシーンを変えてみよう、って。その日の夜にはもう新しい脚本がみんなに配られる」

 そのとき、永瀬さんが提案した内容を具体的に尋ねると、驚きの答えが返ってきた。

「ライタートリックですね。最初は煙草に火をつけるとしか書いてなくて、なんか面白いアイデアない?って言われたので、ジムの前でやって見せたんですよ。ちょうど映画で着ていたのと同じようなジャケット着てて、放り投げたらたまたま内ポケットに入った(笑)。ぜひ使おう、って言ってもらいました。あとは(工藤)夕貴ちゃんが、なんでいつもつまんない顔してんの、ハッピーになりなよ、って、僕に口紅を塗るシーンがあったんですけど、夕貴ちゃんに相談して、口づけで塗ってもらうのはどうだろう?って」

 どちらも、作品のなかでも特に強く印象に残る場面だ。永瀬さんのアイデアを監督が柔軟に取り込んだからこそ生まれた、名シーンと言えるだろう。

「ジムはいろんな人のアイデアをミックスさせていましたね。例えば、スーツケースの取っ手に棒を入れて2人で持って、前後をスイッチしながら歩くっていうのは、撮影監督のロビー・ミューラーさんのアイデアだったんです。もちろん、100%取り入れるわけじゃなくて、最終的なジャッジメントはジムがするんですけどね。撮影の前に、リハーサルというほどではないですけど、実際に夕貴ちゃんと2人で持ってメンフィスを歩いた思い出がありますよ」

 ジャームッシュ監督は、場面ごとに細かい演出をするよりも、人物を深めていくような演出をするとも聞く。脚本の段階でキャストとの関係を深めることで、作品内の人物像を深めている、と考えることもできる。監督は「あて書き」という、役者をイメージして脚本を書くことも多い。

「初期は特に、あて書きが多い方でしたね。『ストレンジャー・ザン・パラダイス』も、『ダウン・バイ・ロー』もそうですし、『ミステリー・トレイン』もホーキンス[スクリーミン・ジェイ・ホーキンス]やサンキー[サンク・リー]は、あて書きですから。パーソナリティーをよく知っているところから物語を膨らませていく方だったので、僕たちとも事前にいっぱい話をしたかったんじゃないでしょうか」。 

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