■周辺のチームから誘い

 普段の体育の授業では校庭を使用しているのに、なぜ週末のサッカーだけはできないのか。椎名さんは、子どもたちの素朴な問いに親として真正面から答えられないジレンマがあると胸の内を語った。椎名さんが求めているのは納得できる理由なのだ。

 小平市の状況が知られるようになって、周辺自治体のクラブチームから「うちの地域においでよ」と練習試合の誘いが舞い込むようになった。妻の理沙さんは、地域のサッカー大会に参加したときの出来事に感激したという。

「サッカーは勝負なので勝敗はありますが、試合後、子どもたちが大泣きしているんです。コロナ禍で練習できない中、こみ上げるものがあったのだと思います。自分たちがサッカーできるように動いてくれて、本当にありがとうございますって夫は言われたようで、恥ずかしそうにしていました」

■署名提出後に施設開放

 小平市が一転して「施設開放」に動いたのは署名を提出した直後のことだった。なぜ、対応が他の自治体と比べて遅れたのか。市教育委員会は本誌の取材に対し、「学校施設は通常の運動場とは違い、学校教育に支障がないことを条件に空いている時間に貸し出すもの。どのような支障があるかの解釈は各自治体によって異なる。これからは各スポーツ団体の指導者の指導の下に安全、安心の活動を行ってもらいたい」と回答した。

 スポーツ行政に詳しい社会学者で、1964年の東京五輪を描いた『「東洋の魔女」論』の著作で知られる新雅史さんは、新型コロナはスポーツ分野におけるあらゆる矛盾を浮き彫りにしたと語り、今回の小平市のケースをこう分析する。

「戦後、学校施設を地域に開放する動きが急速に各地で広まった。問題は、この感染症の時代に、今となっては地域住民には欠かすことができなくなった学校施設を、感染を防ぎながらどう開放していくのかという本質的な議論が進んでいなかったことだ」

 とした上で、国民の多数が中止や延期を望んでいるのにもかかわらず、強行されようとしている東京五輪をこう位置づけた。

「64年の五輪が『高揚感』という言葉で象徴されるなら、今回の五輪を象徴する言葉は『諦め』です。それは、スポーツの分野だけでなく、政治や経済など社会の隅々にまで浸透している。何をやっても結局は、金と権力を持つ側の思いどおりにことは進む。だから、小さなことかもしれませんが、市民の声や行動で行政の態度が変わった小平市の例は特別なことなのです」

 なぜこの感染状況下で東京五輪を開催するのか──。菅義偉首相をはじめ国のトップは、子どもたちでさえ思う疑問に誰もが納得できる答えを提示できないでいる。(編集部・中原一歩)

AERA 2021年7月12日号