今日で辞めよう。重い足取りで臨んだ3回目の稽古で、上手な人の動きを凝視しているうちに受け身のコツがわかってきた。道場の主宰者は父と同世代のジョン・フラー。幼少期に両親を亡くして児童養護施設で育った苦労人で、学校の運動場整備などの仕事を得て地域の子どもたちにスポーツを教えることに生きがいを見いだしていた。サッカーやボクシングなどを体得してきたフラーだが、柔道は当時まだ2級の茶帯を取得したばかりで、一緒に学ぼうという姿勢で子どもたちに向き合い、慕われていた。ウォリスは体捌(さば)きや技を覚えて勝てるようになると、柔道の虜になった。白帯から始まり黄、オレンジ、緑、紫、茶と帯が昇格する度に、母に料理に使わなくなった鍋を出してもらっては染料を湯に溶かして自分で帯を染め上げた。フラーから黒帯を授与されたときは、天にも昇る心地がした。

 柔道で自信をつけたウォリスは、自ら運命を開拓していく。柔道と学業の奨学金を得て、上流階級の子弟が通う文武両道の名門私学ミルフィールド高校に、飛び級で進学した。周りは年上ばかりで当初は勉強についていくのもやっとだったが、「柔道の強いサイモン」と一目置かれるようになった。食堂に五輪選手になった卒業生のリストが貼ってあるような伝統校にあって、柔道で英国代表に選ばれたのはウォリスが初めてだった。

 地質学者を志したのは少し遡(さかのぼ)った中学生のころ、風邪で休んだ日にテレビで見た放送大学がきっかけだった。1千万年単位のプレート運動と地球の変貌が岩石や化石に記録されていく壮大さに心が躍った。さらに後日、父の高校に教育実習に来ていたドイツ人女性からこんな話を聞いた。

「地球物理学者って世界中を飛び回れて楽しそうだし、お給料もすごくいいみたいよ」

 寝室に世界地図を貼り、漠然と募らせていた「世界」や「地球」に対する憧憬(しょうけい)が具体的な像を結んだ気がした。随分と後に給料云々は正しくないことを知るのだが、こうしてサイモン少年は自らの進路をロックオンした。

(文・大平誠)

※記事の続きは2021年7月5日号でご覧いただけます。