「コロナ対策も同じです。決戦は1回限りと言いますが、徹底的なロックダウン(都市封鎖)であっても、1度であれば国民は受け入れたはずです。それができなかったのは、昨年3~5月に一斉休校などの対策を取って感染抑制に成功したかにみえて、楽観論が生まれたことが原因です。政府は『日本モデル』などといって慢心し、経済を回そうとGo Toトラベルを行い、再び感染拡大を招きました」

 大義名分がコロコロ変わるのも先の戦争と東京五輪は似ている、と井上教授は指摘する。

 日米開戦時、開戦の詔書が掲げた戦争の目的は「自存自衛」だった。国家が自力でその存立を維持し自国を防衛する、という意味だが、国民にはよくわからない。そこで当時の東条英機首相は「大東亜共栄圏の建設」と再定義する。欧米の植民地支配からアジアを解放し、日本を盟主とする大東亜共栄圏を確立しようという考えだ。

■頻繁に変わる大義名分

 しかし、アメリカは事実上、アジアに植民地を持っていない。アジア解放が戦争目的なのであれば、なぜアメリカと戦争をする必要があったのか。具体的な答えはなく、国民は何のために戦っているのかわからなくなったという。

 一方、東京五輪の大義名分は元々、東日本大震災からの復興を記念する「復興五輪」とアピールしていた。だが、復興が終わったとはとても言えない。そこで「人類がコロナに打ち勝った証しとして実現する」と言い出したが、説得力はなく、まもなく消える。そして今は「絆を取り戻す」がスローガンになっているという。

「いったいどういう目的で五輪をやるのか、国民にはわかりにくくなっています。わからないから、感染拡大の抑止に協力する気持ちも薄れていったというのが、国民の平均的な感覚だと思います」(井上教授)

(編集部・野村昌二)

AERA 2021年7月5日号より抜粋

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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