ごはんですよ~!と呼ばれても、世界では「お米」が出てくる確率の方が低い(写真/著者提供)
ごはんですよ~!と呼ばれても、世界では「お米」が出てくる確率の方が低い(写真/著者提供)

 娘が3歳ごろのことです。夕飯の支度ができたので、仕事部屋にいる夫を呼んできてほしいと頼みました。「ダディーに、ごはんですよって言ってきてくれる?」お手伝いを任された誇らしさに顔を輝かせながら、娘は仕事部屋へ走っていきました。そしてこう叫んだのです。「Daddy, it’s RICE! 」

 娘は基本的に、日本人の私とは日本語で、アメリカ人の夫とは英語で話します。母親に日本語でいわれた「ごはんですよ」を、父親のために「It’s rice」と英訳したのでした。本当なら「It’s dinner time!」や「Dinner is ready!」というのが適当でしょうが、ごはんすなわち白米、すなわちriceと解釈した娘が間違っているわけでもない。夫とふたりで大笑いしつつも、ごはんって、日本文化に親しんでいないとなかなか英訳が難しい単語だなと考え込んでしまいました。

「ご飯」の語を辞書で引くと、「米などのめしをいう丁寧語。転じて、食事をいう丁寧語」と出てきます(『日本国語大辞典 第5巻』、小学館)。英語には、「ご飯」に相当する言葉はあるでしょうか。食事を意味するmealは、粗く挽いた穀物(オートミールやコーンミールの『ミール』)のことかと思いきや、「決まった時間」を意味する古英語が語源です。英語圏の主食はパンやパスタ、米、じゃがいも、とうもろこしと多種多様で、日本における米ほど主要なものはなく、そもそもそれらの穀物類を「主」と呼ぶことはありません。英語でいう主(main)は、肉などの主菜を指します。

 でも古い例では、appleがそれに当たるのではないかと思います。17世紀ごろまでの西ヨーロッパでは、ベリー類以外の果物はすべてappleと呼ばれていました。トマトはlove apple、キュウリとジャガイモはearth appleなど、さまざまな植物がappleの一種として呼ばれ、その名残は今もヨーロッパの各言語に残っています。アダムとイブが食べた禁断の果実(forbidden fruit)は、聖書には明言されていませんがappleとされることが多く、絵画にも大抵はりんごとして描かれます。

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大井美紗子

大井美紗子

大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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大阪でいう「飴ちゃん」