猪木は70~90年代、柔道家やボクサー(アリを除く)、マーシャルアーツの選手らと20試合以上の異種格闘技戦に臨み、そのほとんどで勝利している。

 対戦相手のなかには五輪金メダリストなど業界で顕著な実績を残した選手もいたが、アリ戦のように数十年が経過しても広く語り継がれ、論評されるような試合はない。それはひとえに、これらの試合が通常のプロレスの枠内におさまっていた(76年のアクラム・ペールワン戦を除く)からである。

■リアルファイトの理由

 この猪木対アリが、さまざまな観点からありえないと思われた「リアルファイト」になった理由、別の言い方をすればアリが真剣勝負に応じた理由については、諸説ある。

 その答えを探る重要なヒントになるのが、冒頭のテープだ。

 アリは次のように語っている。

<猪木とマネジャーたちはリアルなマッチを望んでいるらしいが……俺は、全力で彼を殴らないことを観客に知らせておきたい……猪木も全力でこっちの腕をネジあげたり、ほかの技でそういうことはしないと……われわれは意図的な……ことはしないと。そのことはみんなにも知らせておく必要がある、そうじゃないか?>

 対外的には公開されていなかったテープで、アリは明確にエキシビションマッチを望み、しかもそれをオープンにすることを要求していた。

 だが、アリはこうも語っている。

<リアルでやると言うのなら、俺たちはリアルでやる。猪木がベストを尽くして、俺をホールドすることができるかもしれない。俺も猪木をノックアウトするかもしれないし、そうはいかないかもしれない……だがリアルでやるとすれば、もう少ししっかりしたパンチを繰り出すことになる。

 そしてリアルでやる場合には、向こうに伝えてもらいたい。その場合は、床に寝転がるとか、やっていいこと、いけないことについての規則が課せられるということを>

■本人に迷いはなかった

 アリは「リアルファイトでやるというならそれでもいい」と自信を見せる一方で、その場合にはルール変更を迫ることを示唆しており、実際の交渉でもそのとおりになった。

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「彼をリスペクトしている」