■バスケ部ではキャプテン 不良生徒を呼び出し注意

 その原動力を、正義感や使命感といった言葉で表現するには違和感が残る。困った人がいれば、手を差し伸べる。吉水の人生を辿ると、そんなシンプルな表現が、しっくりとくる。

 吉水は1969年8月、埼玉県岩槻市(現・さいたま市岩槻区)の浄土宗寺院「浄安寺」の住職・吉水大智(だいち)(79)の次女として生を受けた。3姉妹で、弟がいる。幼少期から学生時代の吉水を知る人物に話を聞くと、皆一様に「明るく、活発な女の子」と口をそろえる。岩槻小学校時代の同級生の廣瀬律子(51)は、メディアなどを通し、現在の吉水の活動を知っている。支援活動に奔走する吉水の姿から、小学6年時の修学旅行を思い出す。

「仲のいい友だち同士で自由に班を作って行動しましたが、誰にも声をかけられない子を率先して自分の班に誘っていた姿が印象に残っています」

 岩槻中学校に進学した吉水は、バスケットボール部に入部した。足が速く、陸上部の選手を押しのけ、県の駅伝大会にも出場。バスケ部ではキャプテンを務め、同校初の県大会出場を果たした。

 当時のバスケ部顧問だった榎本利男(71)は、

「素直でいい子だけでは勝てない。吉水はとにかく勝ち気で気が強い。怪我をしても口に出さず、それを他の生徒から教えられることも多かった」

 そんな吉水率いるバスケットボール部は、校内でも一目置かれたようだ。吉水が中学生だった当時、「校内暴力」が社会問題化していた。暴走族風の衣装を着た「なめ」がブームになり、吉水が中学3年時の84年には学園ドラマ「スクール☆ウォーズ」の放映が始まった。そんな時代だ。

 吉水の通う岩槻中でも校内でたばこを吸う生徒や、長ラン短ランと呼ばれる変形学生服を着るツッパリ男子生徒がいた。榎本は振り返る。

「あるとき、昼休みに人だかりができていて、見に行くと吉水ら女子バスケ部の生徒が不良の男子生徒を呼び出していました。土足で体育館に入る生徒を注意するなど、女子バスケ部にだけは不良の男子生徒も口出しができない状態でした」

 バスケットボール選手として、県外の高校からもスカウトが来るほどの実力だった吉水は、バスケットの憧れの先輩がいた花咲徳栄高校(埼玉県加須市)に進学。学業も優秀で、特待生の中でも最も評価の高いAランクでの入学だった。

 高校3年生になった吉水は、自校のチームだけではなく、県の地区代表選手チームのキャプテンも務めた。学校では生徒会の副会長を担当するなど、高校でもリーダー的な存在だった。

 大学進学の際も東京女子体育大学などからスカウトの声がかかったが、吉水が進学先に選んだのは仏教系大学の一つである大正大学(東京都豊島区)だった。当時は「体育の先生になる」という夢があったが、父、大智の説得に応じた。

「きょうだいの中でもしっかりしていたせいか、小学生のときに父から『寺はお前が継げ』と言われ、大正大学に進むことは決められていました。その代わりに、僧侶になるまでは好きなことをやらせてほしいと父にはお願いしていました」

(文・澤田晃宏)

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