2点目は、「収容期限の上限の設定」だ。先進国の多くは収容期間の上限を定め、ヨーロッパではEU加盟国は原則6カ月。しかし日本は理論上無期限で、現実に数年にわたって長期収容される事例が後を絶たず心身を病む人は多い。

 最後は、身体拘束や仮放免の審査に裁判所が介入する「司法審査」。日本では、身体拘束をするかしないかに関しても裁判所が介入する余地がない。刑事手続きでも身柄の拘束には裁判所の令状が必要とされている。公正さや透明性を担保する上で、司法審査は大事だと強調する。

「入管は70年近く前にできた法律の枠組みを、使い勝手がいいからとそのまま使っている。しかし、毎年のように収容された外国人が亡くなっている中、当時の法制度のままでいいはずがない。抜本的な政策の見直しが不可欠です」(高橋弁護士)

■人権を土台に施策を

 元入管職員で、「未来入管フォーラム」を立ち上げ入管行政の改革を訴える木下洋一さん(56)は、入管問題の根本は入管が巨大な裁量権を持っていることだと指摘する。

「裁量それ自体を否定するつもりはありません。しかし、入管における裁量は、例えば在留特別許可や仮放免などの可否判断に関して、法律で基準が定められているわけでも第三者機関が関与するわけでもありません。判断過程が極めて不透明で、ブラックボックスの中にあります。そのため、往々にして担当官の個人的な主観や価値観が混入し、極めて恣意(しい)的な判断の横行を許すことにつながっていきます」

 木下さんは、入管は「絶対権力」だと語る。その権力は、ブラックボックスの中で腐敗し暴走する、と。暴走を食い止めるにはどうすればいいか。木下さんは(1)基準の明確化、(2)チェック機能体制を確立──この2点が大切だと述べる。

「出入国管理に関しては国家から幅広い裁量に任されているので判断基準を明確にするのはなじまない、というのが入管のロジックです。しかしそれは、ひと昔もふた昔も前の発想。適正手続きの順守がもはや当たり前とされている昨今、ガイドラインを法定化するなど、明確化された基準の下で入管の裁量は行使されるべきです」

 チェック機能体制の確立については、第三者機関による機能体制を確立しなければいけないと述べる。

「入管が、身体を拘束するという非常に強権的な権力を行使し得る役所である以上、それが適正に行われているかどうか監視が必要。そのためには人権の専門家など第三者機関に積極的に関与させ、常に厳しい目を光らせていないといけない。強権的ではなく、人権を土台にした施策が、長期的に見て不法残留者の減少につながると考えます」

 ウィシュマさんの死の真相はまだ何も解明されていない。入管庁は、最終報告書を7月中に出すとしている。「闇」に光は差すか。(編集部・野村昌二)

AERA 2021年6月28日号

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ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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