2012年に入社後、新規事業のアパレル部門を立ち上げ、右肩上がりで成長させてきた。事業家として手腕を発揮しつつ、山井が語る言葉には社会改革への志向が色濃くにじむ。

「資本主義はずっと、自然を遠ざけて発展してきました。そのひずみが今、世界中をおかしくしています。本来、人間は自然の中で生きている。野生を取り戻し、人びとが共生を図っていくことが、経済的な発展だけに偏らない、次の世界を作っていく。それは、地域や国という境界を超えた『プラネット』という概念です」

 周囲の自然と通じる悠揚たる雰囲気とともに、山井にはどこか孤高の影がある。それは経営者としての問題意識が、従来の定石とは違う地平にあるからだろう。

「私は常にカウンター側の人間。そういう自覚がありますね」

 山井の物語は、背景にあるファミリーヒストリーを抜きにしては語れない。

 スノーピークは1958年に祖父の幸雄が、金属加工のまち、燕三条で創業した金物問屋「山井幸雄商店」が前身だ。谷川岳に魅せられていた幸雄は筋金入りのクライマーで、彼の作る登山用品は仲間たちから絶大な信頼を寄せられていた。

 96年、父の太が後を継ぎ、スノーピークに社名を変更して、オートキャンプ事業という新規領域を開拓した。時代を読む眼、経営への熱意、実行力。梨沙いわく「すべてのセンスが飛び抜けている」太は、カリスマ性を発揮しながら、地場の中小企業を東証一部上場、株式時価総額710億円(21年5月)の会社に成長させた。

 弟2人、妹1人というきょうだいの長子に生まれた山井は、家族も従業員も一体という、ものづくり会社特有の家族的な雰囲気の中で育った。幼少からバレエを習い、服は母、多香子の手作り。父の帰りは毎晩遅かったが、週末は両親やアウトドア仲間たちとキャンプに出かけて、思う存分お転婆をする。不自由なことは何もなかった。

 小学校2年の時、クラスの男子に性的なちょっかいを受けた。「やめて」と本人に言っても、やまない。勇気を振り絞って担任に訴えたら、「そんなことされちゃったの!」と、軽くあしらわれて終わった。そこから「学校」に対する疑いが生まれ、授業をボイコットするようになった。

(文・清野由美)

※記事の続きは2021年6月7日号でご覧いただけます。