<そんなかすかな怯え、危惧があり、しかしその一方、旅の途上の身の上の心許なさというか不安定感と、月の光の透きとおったけざやかさとの相乗効果だろうか、何か現実離れした心の浮き立ちようもあり、わたしはだんだん寂寥感と恍惚感がないまぜになったような、妙な気分になってきた。それはさびしい道だった>

 その話は夫妻の間で、加計呂麻島での思い出や宮澤賢治の童話作品へと展開されていく。現実の旅から内面の旅へと続く、散文詩のような文章を読んでいるうちに、こちらもたゆたう心持ちになった。

 松浦さんは東京都台東区の下町育ち。商売をやっていた両親は忙しく、あまり一人息子をかまってくれなかった。仲間と路地裏を駆け回って元気に遊ぶ一方で、図書館で借りてきた本を一人読みふける少年でもあったという。

「さびしさというか人恋しさのような感情は子どもの頃からありました」

 今は妻という旅の道連れを得て、思い立った時に「さびしい町」へと出かける。最近では千葉県銚子市へ行った。人影もコンビニもあまりなかったが、そのさびしさをじっくりと味わってきた。

「さびしい町の思い出はみんないくつか持っているんじゃないでしょうか。僕だってまだ何十でも書けますよ。増補版を出せるくらい。でもそれでは退嬰的ですから、連載も20回と決めていました」

 そう言わず、増補版もぜひ。(ライター・千葉望)

AERA 2021年5月31日号