成績優秀で名門山口高校へ進学。千葉大学理学部を志望していたが、筑波大学を見学した友人の「未来都市のようだった」という話が、受験勉強に飽きた頭木には魅力的で、進路を筑波大に変更。試験が論文と口述試験という芸術専門学群に入学、美学科に相当する「芸術学主専攻」に進んだ。

「ピカソがいた時代、芸術家たちがパリに集う雰囲気に憧れがあり、筑波大に行って、美学専攻の子たちの中に自分がいるのも素敵だなと。僕の考えがいかに甘かったかを象徴する出来事です」

 入学するも勉強に身は入らず、バイトをしては東京に行き映画館やレコード店、古着屋を回った。1年のとき単位不足で除籍寸前になったことも。2年以降は授業にでるも、つい友だちと遊びに耽(ふけ)ってしまうお気楽学生だった。

 それが一転闘病生活の身となった。街角を歩く学生の姿が眩(まぶ)しく、<何で俺だけ>と思った。病室のベッドのカーテンを閉め切り、恨みの塊のようになった。しかしある夜、赤ちゃんの泣き声が病室から聞こえてきた。

「赤ちゃんだって病気になるし亡くなることもある。もちろん学生でも入院する。人間というのは不平等なのだと。そんな当たり前のことに気づいてから、あまり人を羨(うらや)んだりしなくなりました」

 固くなった心が少し和らいだのか、故郷の友人が段ボール箱で送ってくれたたくさんの本の中の一冊に心を動かされた。『湘南グラフィティ』(吉田聡著)という漫画。ツッパリが電車の中でウンコを漏らしそうになるシーンが自分と重なった。

「どういうわけか救われたんです。病気以来、初めて本の世界に入っていけた実感がありました」

(文・西所正道)

※記事の続きは2021年5月31日号でご覧いただけます。