「今思えば信じられないぐらい、上から目線で物事を考えたり発言したりしていました」

 そんな西尾さんを根底から揺さぶったのは、15年の高校の修学旅行での体験だ。初めて訪ねた沖縄で、沖縄戦の遺骨・遺品収容を60年間続けている国吉勇さん(82)の活動を知った。これまで収容された十数万点を保管する私設の「戦争資料館」には、炭化した弁当箱や銃刀、注射器などあらゆる遺品が山積みされていた。

「戦後70年を過ぎてもガマ(壕)に入れば遺品は毎日出土し、遺骨も毎年数柱は出続ける」と話す国吉さんを前に、西尾さんは「沖縄戦の歴史に無知・無関心のまま、沖縄をリゾート地として消費する自分を恥じた」と言う。

 小学校の修学旅行で広島を訪ねた際はしっかり事前学習し、「原爆の爪痕が残る場所に足を踏み入れるのだ」という心構えで現地に向かった。だが、沖縄の修学旅行では事前学習もなく、「受験勉強前の最後の気晴らし」といった感覚だった。

教育やメディアのせいにはできません。沖縄戦のことを学ぶべきだという意識があれば、自分で調べることもできたはずですから。でもそんなこと、考えもしなかった。ということは、自分の中にも沖縄戦のことは広島の原爆などよりも知らなくていい、と下に見る視線があったのかなと」(同)

 西尾さんはその後、十数回にわたって沖縄を訪ね、国吉さんら戦争体験者の声に耳を傾けた。国吉さんから借り受けた遺品を全国で展示する活動も始めた。忘れ難いのは、国吉さんが口癖のようにつぶやく、「遺族がいるから」という言葉だ。

「すべての遺品に収集日と場所が記入され、国吉さんの記憶も驚くほど鮮明です。それは遺族の元に返したいという強い思いがあるからなんです」

 国吉さんの姿勢は、そのまま具志堅さんに重なる。2人とは孫の世代に当たる西尾さんだが、「Z世代」としての進取の気取りはない。

「私たちは具志堅さんをはじめとする沖縄の方たちの声に応答しているだけです。先輩方の意志を引き継ぐ運動を、Z世代の自分たちの発明品みたいに切り取られたくはありません」

 ネットでは、沖縄の反基地運動を標的にする「沖縄ヘイト」がやまない。西尾さんはこう考えている。

「私はこの問題にマジョリティーの側から向き合っています。自分が所属している側の社会から出てくる膿をみて治療するのが、自分の役目の一つかなと思っています」

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