声明は、国や県に本島南部の土砂採掘中止などを求め、日本全体の民主主義にかかわる問題だと訴えた。「当事者意識を持って学び、議論する、開かれた場をつくる」ことを提言。本土メディアによる報道も呼びかけた。

 呼び掛け人は西尾さんのほか、「辺野古」県民投票の会元代表で一橋大学大学院生の元山仁士郎さん(29)、沖縄戦の記録や継承に取り組む沖縄国際大学大学院生の石川勇人さん(22)、石川県珠洲市の坂本菜の花さん(21)ら沖縄県内外の6人だ。

 坂本さんは、高校生活を那覇市のフリースクール「珊瑚舎スコーレ」(今年4月に南城市に移転)で送った。沖縄のお年寄りらと交流しながら学んだ体験をつづった著書『菜の花の沖縄日記』を19年に刊行。坂本さんに密着したテレビドキュメンタリーは映画化され、各地で上映会が続く。具志堅さんの遺骨収集に参加したこともある。

 西尾さんは元山さん、石川さん、坂本さんらと平和学習の取り組みなどを通じてつながっていた。声明はLINEでの議論やオンラインミーティングを重ね、数日でまとめた。賛同者に名を連ねた10~20代の約70人のうち、県外が半数超にのぼった。

 西尾さんはさらに、計6回にわたるオンラインイベントや会見を開催。全国紙や地方紙、機関紙、ミニコミ誌などに寄稿した原稿は30本超になる。

「朝日新聞にはこの問題についての投書を3回送りましたが、なしのつぶてでした。地方紙も含め新聞の掲載率は2割ぐらいでしょうか」(西尾さん)

 やりきれなかったのは、4月に上京した具志堅さんらに応対した厚生労働省や防衛省の官僚たちの木で鼻をくくったような態度だ。オンライン中継を見守った西尾さんはこう振り返る。

「同じような教育を受けてきた自分にも共通する考え方の軸やマインドセットがあるのかもしれない。個人の人間性が試されている、と思いました」

■信じられないくらいの上から目線が変わった

 西尾さんは神戸市の灘高校から東大に入った。東大には17年4月から7月まで通い、9月から「本命」のエール大に渡った。専攻は哲学と文化人類学。灘高では生徒会長を務め、高校生向けのビジネスアイデアコンテスト「キャリア甲子園」で優勝。模擬国連の世界大会で活躍したり、官僚OBを訪ねる合宿に参加したりするなど、エリート予備軍の王道を歩んできた。

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