アメリカ・アラバマの道路は広く、ほとんど人がいないので道をよける気遣いもいらない。東京ではなかなかこうはいかないけれど(写真/著者提供)
アメリカ・アラバマの道路は広く、ほとんど人がいないので道をよける気遣いもいらない。東京ではなかなかこうはいかないけれど(写真/著者提供)

「マミー、なんで日本ではいつも謝っているの?」

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 子どもは時として、親よりもずっと注意深く物事を観察しています。4歳の娘と1歳の息子をふたり乗りベビーカーに乗せ、東京の狭いスーパーマーケット内を歩いていたとき。右手では陳列品を落としそうになり、左手では人にぶつかりそうになって、とにかく「すみません、すみません」と頭を下げながらベビーカーを押すわたしの姿を見て、4歳の娘が発したのが冒頭のことばでした。「マミーは日本に来てからずっと謝ってるね。なんで?」と。

 その数週間前まで、わたしたち家族はアメリカに住んでいました。アメリカの中でもアラバマ州というかなり人口密度の低い──言い換えれば結構な田舎にいたため、歩いているとき誰かにぶつかりそうになるというシチュエーションは限りなくゼロに近いものでした。アメリカでも人と接触しそうになったときは「Sorry(すみません)」と言いますが、その言葉を口にした回数は両手で数えるくらいだったように思います。

 しかし東京へ引っ越した途端、「すみません」は日常語になりました。アラバマでのびのび育ったわが子ふたりは、まず道路をきちんと歩くことができませんでした。右手にきれいなたんぽぽがあれば摘みに行こうと、左手にかっこいい車があれば触りに行こうとするので、まっすぐ前に進めないのです。もちろん前から後ろから来る通行人の邪魔になり、自転車にぶつかりそうにもなります。そのたびに「すみません」と頭を下げ、「まっすぐ前を向いて歩きなさい!」としかることになりました。

 また彼らは、電車やバスの中では静かに座っていなければいけないことも知りませんでした。アラバマでの移動手段は100%自家用車で、公共交通機関に乗る機会がなかったからです。子どもたちが車内で歌をうたい、車窓風景を見ながら「あっ、クレーンだよ!」と大声で叫び、手足をぶらぶら動かして隣の乗客にぶつかりそうになるたびに、私は「シーッ!!!」としかめっ面で人差し指を口に当て、「すみません」と周りに頭を下げました。

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大井美紗子

大井美紗子

大井美紗子(おおい・みさこ)/ライター・翻訳業。1986年長野県生まれ。大阪大学文学部英米文学・英語学専攻卒業後、書籍編集者を経てフリーに。アメリカで約5年暮らし、最近、日本に帰国。娘、息子、夫と東京在住。ツイッター:@misakohi

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