前田さんは、20年余り前に山海留学制度の「里親」をやったことがある。先日亡くなった夫も当時は元気で、鹿児島市内の小学4年と5年の兄弟を預かった。1学期間「わが子と同様に暮らした」が、夫が体調を崩したため、夏には中止した。

「でも、その子たちは20年経ってから、タイムカプセルを掘り返すために小学校に戻った時に、うちに寄ってくれたんですよ。うれしかったあ。自分の3人の子たちより、一回り下。子育てにいろんな反省があったけれど。きちんと怒れる里親じゃなくっちゃ、と思ってる。もう主人もいないし」

■転入者と転出者

 島北部の集落にある、「イギリス坂」を上ったところにある一軒家は「広いから、2,3人は預かれる」と話す前田さんだが、周囲には「里親」がたくさんいる。「地域のみんなで育てるんです。みんながきてくれる。うちの兄夫婦と、主人のいとこの妻とその姉も里親。中学の修学旅行以来つきあっている小宝島と諏訪之瀬島の同級生も3人ずつ預かってるわよ」

 今年、最高の42人となった「山海留学生」は、1991年に始まって以来述べ419人がやってきた。2002年に初めて二けたの10人となり、一昨年で初の30人、昨年33人。宝島小中学校(全校23人=小学生18、中学生5)には、4年目と3年目が一人、2年目が3人いて、今年2人が加わった。「新入生にどんな子が来たか、島のみんなが知っているわよ」と前田さんは言う。

 ただ、留学生は「人口増」の要因にはなるが、高校に進学するときは、島を離れる。同村の定住対策室の担当者によると、最近3年間では転入者の定住率が約7割だという。

 せっかく移住した人たちにはできるだけ長くいてもらおうと、同対策室は2年前に、定住サポート推進委員会を各島の住民で組織。農業や漁業、畜産などの独立した職業に就けるよう支援に力を入れている。また、Iターンばかりでなく、島で生まれた人たちの「Uターン」にも積極的な財政支援を、という声も少なくない。島の「これから」がかかっている。(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

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