※写真はイメージです(gettyimages)
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 7つの有人島と5つの無人島の計12の島々がある鹿児島県・トカラ列島(十島村)。その近海で今月9日から260回を超える有感地震が続いている。21日朝7時45分にも悪石島で震度4を観測した。

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 実は、十島村はここ10年ほど、若い人をはじめ人口が増えていることで知られる。なかでも、有人島のうちのひとつ、宝島(人口131人)はその昔、イギリスの海賊キャプテン・キッドが財宝を隠したという伝説が残る。その財宝は1億ドルとも3億ドルともいわれる。この伝説は未確認だが、宝島では、明治10年前後まで旧島津藩が金鉱採掘をしていたことも、伝えられている。

 その宝島からの出身者が一時約300人を超えていた「宝島村」が、東京都文京区にある。この宝島村については、公益財団法人日本離島センターの季刊「しま」の連載「島の精神文化誌」で、筆者の順天堂大学講師・土屋久さんが詳細に触れていた。

 文京区小石川に住む杉田ハルコさん(83)も、その一人。地震があった12日、宝島に住む友人らに電話をかけた。

「あまり揺れなかったみたい。地盤がしっかりしてるから。台風の方が怖いのよ」

 前述のとおり、悪石島ではこれまで震度4を数回観測するなど不安が広がっていたが、およそ50キロメートル離れた宝島は、それほど大きな揺れではなかったという。

■東京都心の「宝島村」

 ハルコさんが上京したのは昭和31(1956)年、19歳の時だった。長兄の故・大久保清さんが社長になって製本会社「清光社」を設立。以降、宝島から同社に知り合いを呼び寄せて、社業を拡大。ハルコさんは夫の杉田稔さんと同38年「栄進堂」を独立させるなど、一時は製本工場を4カ所に拡張した。「週刊朝日」や「AERA」の製本も引き受けていたという。

 ハルコさんは今でも毎日のように、宝島や周囲の島々の友人に電話をする。最近、電話した一人が、宝島在住の前田明子(めいこ)さん(69)。以前に受け入れた経験がある「山海留学生」の里親をもう一度やりたいな、という雑談をしたばかり。

 ハルコさんが寝る間もなく働いていた高度成長時代には、故郷の島から働き手がやってきたが、日本全体が人口減少に突入した2015年の国勢調査で、十島村は人口が756人と5年間に15.1%増え、増加率は全国の市町村で第2位だった。今年4月15日現在686人と減少に転じているが、島には若い人が目立つという。なかでも、各島の小中学校への山海留学生が、今年は42人とこれまでの最高を記録し、村内では話題になっている。

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転入者の定住率は約7割