韓国人の両親のもとに、アメリカで生まれた32歳のス・チャンは、リンとは違い「自分は最初からアメリカ市民だという感覚を強く持って生きてきた」と語る。ロサンゼルスで育った彼女が体験した小学校のクラスは、さまざまな人種の生徒がいる環境だった。

 さらにカリフォルニア大学ロサンゼルス校に進学すると、多くのアジア系の親しい友人たちに囲まれて、かなり居心地が良かった。そんなチャンにとって、アトランタの殺害事件は、人種差別と女性蔑視というふたつの要素が重なったショッキングな警告だった。

「アジア系で、かつ女性である自分。その自分が個人的に身体的な暴力のターゲットになり得るんだと。これは、ほぼ生まれて初めて感じる種類の恐怖だった」

 彼女はハーバード大学で修士号を所得し、白人人口の多いボストンの街で初めて「あ、ここでは自分はマイノリティーだ」という意識を抱いたという。

「アメリカで生まれた米国市民である私は、国民に与えられた権利を声高に主張でき、平等に扱われて当たり前だという感覚。でも、移民としてこの国にやってきた私の両親はメンタリティーが違う。父母は、誰かに差別語を言われても黙ってじっと我慢していたこともありました」

 彼女の両親の世代のアジア人移民の多くは「米国に住めるだけでありがたい」という気持ちが強く、もし差別されても、おおごとにしない人が多いとチャンは言う。一生懸命勉強し、文句を言わず必死で働き、社会の階層の上に行けるように頑張り、自分の子どもには自分以上の教育をと願う――。まさに「モデル・マイノリティー」メンタリティーだ。

 現在、白人人口の多い地域にある高校でスクールカウンセラーとして働くチャンはこう語る。

「あるクラスで学生から『アジア系アメリカ人で、歴史上有名な人は誰?』と聞かれて、私は、はっと答えにつまってしまった」

 そこで初めて、チャン自身も、アメリカの学校で、アジア系アメリカ人の歴史をほとんど何も教えてこなかったことに気付いたという。

「私個人が尊敬するアジア系のアメリカ人女性はたくさんいるけど、そういう存在はこの国の学校の教材には出てこない」

 前出のリンも、そしてチャンも、この国の政治権力を握る人たちに、アジア系移民やアジア系市民が果たしてきた歴史的功績をもっと深く理解して、存在を認識してほしいと切望している。チャンは言う。

「自分の身の安全も心配だけど、移民として遠慮しながら生きてきた両親の身の安全のことが、何よりも気がかりだから」

(ジャーナリスト・長野美穂)

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長野美穂

長野美穂

ロサンゼルスの米インベスターズ・ビジネス・デイリー紙で記者として約5年間勤務し、自動車、バイオテクノロジー、製薬業界などを担当した後に独立。ミシガン州の地元新聞社で勤務の際には、中絶問題の記事でミシガン・プレス協会のフィーチャー記事賞を受賞。

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