また、単焦点レンズを使って接写するなどして、東田さんが「みんなは物を見るとき、まず全体を見て、部分を見ているように思います。しかし僕たちは、最初に部分が目にとびこんできます」と書いた独特の見え方を表現。雑音も録音し、音の洪水に襲われる聴覚過敏の人の聞こえ方も表した。ミッチェルさんは言う。

「自閉症者は定型発達者(健常者)と比べて欠けているのではなく、より多くの能力を持っています。彼らは定型発達者のためにデザインされた生きづらい世界で、創意工夫しながら自分の居場所を作ろうとしている。それだけで尊敬すべき対象です」

 自閉症を抱える人たちはふとしたきっかけでパニックになることがある。映画では自閉症者の母親がこう寄り添った。

「自閉症で話せない苦しさを想像できますか。見て、聞いて、感じても応答できないなんて。この子が腹を立てるのも当然」

 途上国では自閉症者が悪魔と結びつけられるなど強い偏見があり、引っ越しせざるを得ない家族や、我が子を外に置き去りにする人もいることも描かれた。先進国でも偏見は残る。映画に登場するアメリカに住む23歳の男性、ベンは文字盤に出合い、周囲と意思疎通できるようになったが、文字盤を使う前の学校教育について聞かれると「人権の否定」ときっぱり答えた。彼らを理解しようとせず、コミュニケーションを遮断してきたのは健常者側だったのだという現実を突き付けられる。

「自閉症の人は壊れた人間でも憐れむべき対象でもない。一人の人間として尊厳を持って接してほしい」(ミッチェルさん)

(編集部・深澤友紀)

AERA 2021年4月5日号