今年、この会場の追悼式典に集まった人はこれまでで最も多かったという。黙とう時刻には約1千人が詰めかけ、例年600~700個用意しているバルーンリリース用の風船が初めて足りなくなった。通行人数を数えるカウンターは、夜までに4600を超えた。天気に恵まれなかった昨年、一昨年の倍以上だ。

「追悼の思いを持った人が、誰でも静かに祈りをささげられる場にしたいと続けてきました。『これまでどうしても足を運べなかったけれど、震災後初めて来ることができました』という方も年々増えています」(同)

 今年、特に目立ったのが報道陣だった。14時46分の黙とう時刻に現場にいた記者・カメラマンは目算で40~50人。それとは別に、10人規模のクルーを送り込んでいるテレビ局もあった。

「今年は県内のテレビ局はほぼ全局中継があった。石巻だけで複数の拠点から同時中継するようなケースもあって驚きました」(同)

■「節目」でも「区切り」でもない現在進行形の一地点

 東日本大震災から10年の今年、3月11日当日の前から各メディアは大特集を展開した。新聞記事検索のデータベースを引くと、今年1月1日から3月20日までの間に「東日本大震災」という単語が含まれた朝日新聞の記事は1594件がヒットした。11日当日と翌12日に限っても、246件。これは、昨年の約1.6倍にあたる。

 新聞でもテレビでも、「10年の節目」という言葉が何度も使われた。3月11日は毎年、「〇年の節目」と言われてきたが、今年は特にそのニュアンスが強かったように思う。

 一方で、私はその言葉にずっと違和感を持っていた。手元にある国語辞典で「節目」と引くと、「物事の区切りとなるところ」とある。震災10年は「節目」なのか。

 確かに、被災地の「外」で暮らす私たちは、10年という言葉にある種の感慨を覚える。災害を思い返す機会になるという点で、無意味だとも思わない。

 けれども、地元の人との会話から、3月11日が「節目」「区切り」だと感じることはなかった。3月11日は、被災地で暮らす多くの人にとって大切な祈りの日だ。だが、それを境に何かが変わるとも思わない。

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