――裁判では、佐川氏にも賠償請求し、法廷で証言することを求めています。

 夫の改ざんは佐川さんの指示があったからなのですか、佐川さんは誰から指示されたんですか――。そうしたことを聞きたいですし、教えてほしい。

 私は佐川さんに2回、経緯の説明や謝罪を求める手紙を出したんです。責任を感じていますとか、指示していませんとか、今は答えられませんとか、何か返事があると思ったんです。だけど、戻ってきたのは「受け取って読みました」という返事だけ。それも、本人からではなく財務省から。無視というか、軽くみられる感じですよね。

――裁判は国側の抵抗によって長期戦の様相を呈しています。

 弁護士の先生から裁判は何年もかかると言われていたので、腹もくくって、長期戦は覚悟しています。

 自分で決めたことなので後悔してないです。それに、いつも夫も一緒に闘っている感じなんです。

裁判の時は夫の写真をカバンに必ず入れ、夫の使っていたベルトをつけて行ったりしています。口頭弁論も私が話すというより、夫が言ってほしいことを私が話しているようなところがあります。そんな私を、夫は「面白いことやってるなあ」って、そばにいて応援してくれるように感じます。

――お二人は仲がよかったと聞きました。

 はい。本当に、仲がよかったんです。私より8歳年上で、結婚して22年半でした。私のことをすごく大事にしてくれ、面白くて優しい人でした。

夫が亡くなって1年近くは、町で夫に似た人を見たりしただけで涙があふれてきて、止まらなくなりました。病院で「複雑性悲嘆」と診断されました。治療して今はずいぶんよくなりましたが、嫌なことがネットに書かれていたりすると、落ち込みます。

――今ほしいものはありますか。

 夫に会いたいです。夢でもいいから、出てきてほしい。

 夫の気配を感じることはあるんですけど、姿を見せてくれたのは夢の中だけです。だけど、夢で会えたのは亡くなって2カ月くらいして一回だけ夢枕に立っただけで、なかなか出てきてくれません。

――裁判が終結したら、何をしたいですか。

赤木ファイルが出てきて、夫が亡くなった真相が明らかになって、そして夫の改ざんに関わった人たちが夫の遺影に手を合わせに来てくれた時。その時にはじめて「終わった」と思います。その後は……、まだわかりません。

(構成/編集部・野村昌二)

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野村昌二

野村昌二

ニュース週刊誌『AERA』記者。格差、貧困、マイノリティの問題を中心に、ときどきサブカルなども書いています。著書に『ぼくたちクルド人』。大切にしたのは、人が幸せに生きる権利。

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