そうした県外避難者の一人、菅野義樹さん(43)は、北海道栗山町で牧場を経営する。飯舘村南部の比曽集落で16代続く農家だが、全村避難指示の後、北海道の大学で研修した縁で同町の農場に誘われた。「この地で和牛繁殖を独立させ、飯舘に還る」との思いは固い。

 一方で、菅野さんはコロナ禍でのリモート勉強会が活用できないか、と考えている。先月も、栗山町の仲間らと島根県海士(あま)町とを結んで意見交換した。数百人の移住者と住民が連携したまちづくりを成功させた町だ。次回はリモートで「飯舘村との地域づくり」を研究する計画だ。菅野さんのように県外で活動する農家は6軒、福島県と合わせ97事業をする農家が避難先で「飯舘農業」を続ける。

 避難より帰村のハードルは高い。飯舘村から車で1時間の距離にある福島市には、避難した村民が2316人住む。村会議員の佐藤健太さん(39)も、その一人。避難中に結婚し、2人の子どもとともに住む福島市内から、父を継いだ村内の鉄骨加工会社へ毎日通う。

「この間に避難先に生活の基盤ができ、簡単には生活拠点を動かせない人が多いと思います」

 佐藤さんは震災後の10年を振り返り、こう続ける。

「これからは、帰村を促しつつも、外から迎え入れるという姿勢で新たな人たちと協働を進めたい」

■「新旧」村民で意見交換

 こうした移住者と住民、そして「通い」の住民や支援者らが次々と登場したのが、投稿サイト「note」を使った合同会社「MARBLiNG」の連載だ。今年の3月10日まで、27回連続で配信。昨春に移住して花農家を始めた元サラリーマン、農家を支援する農政係の若手役場職員、神奈川県の自宅から毎週のように村に通い、放射線を測定しつつブドウ栽培にチャレンジした元ビジネスマン──それぞれの立場から、「これまで」と「これから」の10年への思いを語っている。

 そもそもMARBLiNGを起ち上げたのは、2年前に飯舘村に移住した地域おこし協力隊の松本奈々さん(28)と、東京藝術大学の建築科を昨年卒業し、東京との2地域居住で活動する矢野淳さん(25)だ。

 二人は、マーブル模様のように様々な人の個性(色)が共存する、彩度の高い「いなか」をソウゾウする、ことを目指すと言う。これまで、村内外の関係者と3回のワークショップを開き、新旧村民の意見交換を進めてきた。こうした仲間たちを巻き込んで、震災後10年の節目を機に、互いの連携策を探る「ハブ空間」「実験場」の建設をスタートする予定だ。(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2021年3月29日号より抜粋