「返さない400万円」と、結婚時に眞子さまに支給される「1億円超の一時金」が大きいことは間違いない。事情はさておき、さっさと返すか、いずれ返すと表明する。それが嫌なら、一時金の辞退か。それなら返した方が早いのに、と思うのが、大人というものだ。

 その後秋篠宮さまは「結婚を認める」としつつ、「見える形での対応が必要」と会見で語り、宮内庁長官は12月の定例会見で小室さん側の「説明」に言及した。2人とも「大人の対応」を求めたわけだが、小室さんは無反応。しみじみ想定を超えた人だ。

■「公」より「私」寄りの人

 メーガン妃と小室さんに共通するのが、上昇志向だと思う。誰がどんな志向を持とうと自由だが、それゆえに王室、皇室入りを望んだのかもしれないと感じてモヤモヤする。2人を、どうとらえればいいか、識者に話を聞くことにした。

 名古屋大学の河西秀哉准教授(歴史学)から出たのが、「自己犠牲」という言葉だった。

「今の皇后である小和田雅子さんは、今の天皇に見初められ、何度も結婚を求められて承諾しました。美智子さまも同様です。外交官だった雅子さんがわかりやすいですが、2人とも『上昇しなくていい人』でした。つまり皇室入りにはいいか悪いかは別として、皇室外交という自己実現はあったにせよ、ある種の自己犠牲という面がありました。2人とも『お役にたつ』という思いがあったと思います」

 小室さんもメーガン妃も、「公」より「私」寄りの人と見える。そういう人が皇室、王室に現れるのは、社会的現状と重なると河西さん。「新自由主義的な世の中」が影響しているというのだ。「新自由主義的な世の中では自己実現が重要で、それには『上昇』です。上昇志向的な人が増えているのは間違いないと思います」。でも、だからこそ平成から令和にかけて皇室を敬愛する人が増えたという。

 例えば上皇、上皇后夫妻が高齢にもかかわらず、毎週のように被災地に足を運ぶ姿。自己犠牲と自己実現の板挟みで病を得て、何とか折り合いをつけて皇后になった雅子さま。ギスギスした世の中にあって「無私の心」で生きる人たちを見て、若い人も皇室を敬愛するようになった。

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