■観光公害は自分の問題

――「観光」は、コロナ禍で大きなダメージを受けている。

 私を“観光反対派”と思うかもしれませんが、違います。私自身、徳島の祖谷で築300年の古民家を一棟貸しの宿に再生し、宿泊事業も営んでいて、積極的な“観光推進派”です。祖谷の宿はコロナで予約がキャンセルされ、大きな経済的ダメージを受けました。ただ、その後、秘境だから3密にならなくて安全だと思われたのか、回復も早かった。その浮き沈みを経験したからこそ、従来の大量消費型の観光への危機感は、さらに強くなっています。

 コロナ以前のオーバーツーリズムでは、交通や景観、住環境をめぐるトラブル、自然や文化の破壊などの「観光公害」が問題になり、対策の必要性が議論されていました。ところが、コロナで人々の動きが止まり、それらがなかったかのように錯覚されています。コロナの収束は人類がこの厄災に勝利した証しとなるでしょう。でも、実はその時が、観光にとっては危険なタイミング。世界中の人々が心にためたフラストレーションが、ダムが決壊するようにあふれ出てくるでしょう。その勢いは、以前よりも強まるはずです。

 受け入れる側が状況を管理し、制御する方策をきちんと考える必要があります。今までもその必要性を訴えてきましたが、緊急事態下で考える時間がたくさんできたことで、私の意識はまた変化しました。つまり、観光公害は受け入れ側のシステムの問題だけでなく、観光に出向く「自分たち」の問題だ、ということに気づいたのです。

 それまでの私は、自分の行きたいところに行って、「人が多すぎる」と批判していましたが、自分こそが観光公害の片棒を担いでいた。これからは「観光客としての責任」を自他共に問う時代になると思います。

■コロナ後の新しい価値

――それぞれができることはあるだろうか。

 ヨーロッパでは旅行者の「社会的責任」が注目され、CO2排出量の多い飛行機にはできるだけ乗らないというアクションがトレンドになっています。自然環境に配慮して、マチュピチュやガラパゴスといった秘境にあえて行かないという人も増えています。ガラパゴスは私にとっても憧れの土地でしたが、この先、私が行くことはないでしょう。代わりにガラパゴスについての本を読み、この地を愛していけばいいと思うのです。

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