ママたちが他のお子さんと同じように息子に自然に接してくれたおかげで、その姿を見た子どもたちも違和感なく受け入れてくれたのだと思います。たまたま、息子の学年には、穏やかなママが多かったことにも救われました。今では飲み仲間になる程、仲良くしていることには感謝しかありません。

 オープンであることは、子ども同士の世界でも有効でした。

 息子が小学校に入学した頃は、学校指定の上履きを履くことが難しく、膝下の装具を使って生活をしていたのですが、クラスの子どもたちは初めて見る装具に興味津々で、いろいろなことを質問していました。

「ねぇ、この靴なに?」

「なんでこんな靴を履いているの?」

 息子は深く聞かれることを嫌がり悲しんでいましたが、私は子どもは見慣れれば何も言わなくなるのではと思い様子を見ていました。

「コウはね、足が動かしにくいんだけれど、この靴を履くと歩きやすいんだって」

「足が悪いの?」

「そう。でもこの靴を履けば歩けるよ」

 変な靴と言われることもありましたが、息子を思いやってくれるお子さんの方が圧倒的に多かったように思います。

■ありのままに過ごせる環境づくり

 担任の先生も私と同じ考えでした。

「幼稚園の時はみんなで手をつないで助けていたとクラスの子たちが教えてくれたのですが、もう小学生だし、今後のためにもコウがありのままの形で自然に過ごせる環境を作っていきたいと思っています。ガンガン行って良いですか?(笑)」

 さっぱりと、そして豪快に遊びながら接して下さったおかげで、その後、息子は必要以上に特別視されることなく生活しました。休み時間にはきょうだいクラスの6年生にサッカーを教えてもらい、長距離を歩くことができなくても、いつの間にか「学校で最も楽しいことはサッカー」というほど、夢中になっていきました。

 先生は、私が「息子はクラスに付いて行けているか」と聞くたびに、「コウは全然普通です!」と言い切ってくれました。普通でなくても先生がこのスタンスを貫くことで、クラスはまとまっていくのだと感じました。

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心配していた体育の授業は…