具志堅さんは「(辺野古の需要を見込んで)開発を届け出た業者は他にもいる」と言い、「問題の鉱山も辺野古の需要を見込んだ開発。最初をいかに止めるかが大事だ」と訴える。そして今も県、業者、具志堅さんら市民の間でせめぎ合いが続いている。

 これを「沖縄の問題」と片付けていいのだろうか。「また沖縄の基地反対運動か」と受け止める人もいるだろう。しかし私は、外部から持ち込まれた「基地」によって、沖縄の人どうしが対立させられる構図を何度も見てきた。そういう意味で今回もまた、と私には映る。

 具志堅さんらのハンガーストライキについて、SNSでは「本土メディアはなぜ伝えないのか」という声が日増しに高まっている。東京にいる私のもとにも「メディアでもっと拡散を」と求める沖縄の知人たちから連絡が入る。たしかに在京メディアの話題は、新型コロナ感染拡大防止のための非常事態宣言の延長や、発生から10年が経過した東日本大震災の報道で占められているように感じる。

 だが、こうした問題と沖縄でおきていることは無関係ではない。

 沖縄戦の死者に徹底的に寄り添った著書、論文のある大阪大学大学院の北村毅准教授(文化人類学)は3月6日付「沖縄タイムス」で、沖縄戦で失われた命を、東日本大震災や新型コロナでも注目されるようになった「あいまいな喪失」という言葉と重ねて論じている。

 あいまいな喪失は「さよならを言えない、遺体に触れられないなど、喪失が不確実なためにストレスを抱える状態で、身近なほど強くなる」という。沖縄戦でもいつ、どこで、どのように亡くなったのか分からないケースが多い。北村さんは「そういった遺族たちの痛みやストレスを少しでも和らげ、行き場のない感情のよりどころとなってきたのが遺骨であり、糸満市の平和の礎に刻まれた名前」なのだと説く。そして、多くの死者、行方不明者の遺骨が残る場所から工事のために土砂を採取、搬出することは「あいまいな喪失」の中で生きてきた遺族の気持ちをないがしろにするものだ、と北村さんはこう指摘する。

「糸満市の摩文仁周辺は沖縄戦跡国定公園に指定されているが、全国にある国定公園とは歴史的な意味合いが違う。既存の法律では限界があり、沖縄の特殊な事情、場所の持つ意味を踏まえ、土砂の採取、搬出などに配慮する必要があると思う」

 多くの人が行方不明になった震災や津波の被害を受けた地域の土砂を大量に採取して、原発とは言わずとも、何か施設をつくるという計画をもし国が打ち出せば、日本国民はそれを許すだろうか。

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渋谷の喧騒の渦に消えた具志堅さんの声