阿部のキャラクター作りは独特だ。頭の中に複数の主役級を登場させ、まず阿部が質問を投げる。答えがそれぞれ違ったところで阿部が黙ると、キャラクターたちが勝手に議論を始め、その性格が徐々に露(あらわ)になる。さらに性格を際立たせるため、時には「人狼ゲーム」などゲームをやらせることもあるという。そうして魂を宿したキャラクターたちは阿部の脳内で勢いよく動き始める──。

 だが、このキャラクターたちは執筆途中で阿部に異議を申し立てることもあるという。例えば皇子・若宮の側近として重要な役割を果たす明留(あける)は、中ボスくらいで負けていく設定だったが、ある時、阿部の脳内の扉がノックされた。

「失礼します……と物静かに入ってきて“この役はもうやめたいです”と訴えられた。話してみると思ったよりいい子だったんで、コンプレックスをこじらせるキャラは卒業するか?と聞いたら、“はい!”って」

 リクルートスーツ姿でパソコンを抱え訪ねてきたのは、主人公役・雪哉の後輩の治真(はるま)。治真は当初、猿とのテロで殺すつもりだったが、やおらパワーポイントを取り出し、「死んだときと生かした時のメリットとデメリット」をチャートにしてプレゼンし始めたという。阿部は「なるほど。じゃあ、生かすね」と告げると、「ありがとうございます。では失礼します」と去っていった。

 阿部はこのような登場人物との対話を“脳内会議”と称しているが、キャラクターたちと度々会議を繰り返しているからこそ、複数の視点でストーリーを展開させることに成功している。

 阿部の空想の翼は時空を超えどこまでも自由だ。

 1991年、群馬県前橋市で会社員の父・研一(63)、母・美智代(64)の一人娘として生まれた。幼児のころから空想豊かだった。母は2歳4カ月で発した娘の言葉をいまだ鮮明に覚えている。

「車を走らせていると、田んぼで焼かれた藁の煙を指さし『あ、煙がお散歩している』。煙がたなびく景色に『風にバイバイしているのね』と。こんな表現をする娘に正直驚き、この子の感性を大事に育てたいと思いましたね」

 父と母は3歳から通う幼稚園選びに奔走した。市内に幼稚園はいくつもあったが、赤城山の麓にある自由教育を謳う木の実幼稚園を選んだ。自然豊かな環境は、幼い阿部の空想を膨らませる。「妖精が来た」「虹を食べた」「キノコの傘をさした」というような大人からすればありもしないようなことを度々口にした。往復のスクールバスの中では、空想した物語を友達に語り喜ばれた。

 大人は、妄想癖のある子に接すると「それは違う」と諭すのが一般的。だが、阿部の周りの大人たちは誰一人として否定せず、むしろ面白がって話を聞いてくれたという。特に母は「そのあとどうなったの?」と話の続きを催促した。

 一方の父は、哲学者・キェルケゴールが幼いころに暖炉の前で母と対話しながら思考を育んだことを知り、自分もそうやって娘を育てようと考えた。だが娘が3歳の時、その夢は破れた。

「幼稚園で覚えてきた3匹のクマがスープを飲む話をしてくれたのですが、時系列もしっかりし、細部の描写も生き生きしていた。私は俯瞰的な話はできるけど、細部の表現は苦手。この時に思いましたね、娘の成長の邪魔だけはしないようにと」

 この時以来、「娘の成長の邪魔をしない」というのが夫婦の合言葉に。その一方父は、「虹を渡った」などと口にする娘を案じ、ホースで水を撒きながら虹の原理を教えることも忘れなかった。

(文・吉井妙子)

※記事の続きはAERA 2021年3月8日号でご覧いただけます。