国際協力NGO「ジャパン・プラットフォーム」の国内事業部長として仙台で活動した明城徹也さん(50)も、同じ思いを抱いた。同団体が行う海外緊急支援では国連などが支援調整を担い、各国の団体を現場に差配する。だが、日本にはその仕組みがなかった。

「隣で活動している団体同士が、お互い何ができるのか、何をやっているのかわからない。行政側も『お前たちは何者だ』という状況だったと思います。支援の『抜け』や『ムラ』があったはずですが、実態すらはっきりしません」

 支援全体を把握し、コーディネーションの仕組みをつくる。行政・ボランティアセンター・民間が情報を共有し、ともに課題解決に取り組む。その必要性を痛感した栗田さんや明城さんらは13年、どこで災害が起きても調整役を担える組織をつくろうと、「全国災害ボランティア支援団体ネットワーク(JVOAD(ジェイボアード))」設立準備会を立ち上げた(正式な団体設立は16年)。

 時を同じくして、行政も変わり始めた。震災の翌年、岩手県が公開した検証報告書は、「民間団体と一般ボランティアそれぞれに適した受け入れ態勢を構築していなかったこと」「民間団体との連携が不十分だったこと」を課題に挙げ、態勢整備やコーディネーター養成に努めることを明記した。13年には災害対策基本法が改正され、国や地方公共団体が「ボランティアとの連携に努める」ことの必要性が明文化された。

 そんな連携の萌芽と言えるのが、16年の地震だ。JVOAD事務局長に転じていた明城さんは4月14日の前震の翌日、熊本に入る。16日未明、本震に襲われるが、県庁や地元NPOを回り、連携の枠組みを整えた。そして本震の3日後、内閣府や県、社会福祉協議会、NPOの代表者約50人が一堂に集う。のちに「火の国会議」と名付けられる情報共有会議の初会合だった。

■「助けられます!」と手を挙げる社会にしたい

 その後、火の国会議は支援団体間の情報共有と調整を行う場となり、行政・社会福祉協議会・NPOの連携会議は別途設けられて会合を重ねた。

 地元団体「NPOくまもと」理事で、明城さんらと火の国会議立ち上げに携わった樋口務さん(60)は言う。

「熊本地震は私たちにとってほぼ初めての大災害。すべての力を結集しなければ対処できないことは明らかでした」

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