三陸鉄道の橋上和司さん(右)と、中村一郎社長。宮古駅で(撮影/三河和貴子)
三陸鉄道の橋上和司さん(右)と、中村一郎社長。宮古駅で(撮影/三河和貴子)

 地域住民から愛され、東日本大震災後には「震災復興支援列車」で地元を支えた三陸鉄道。震災から復旧し、2019年の台風19号からも立ち上がったところ、コロナ禍で三度苦境にあえいでいる。AERA 2021年2月22日号から。

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 三陸鉄道の旅客営業部長、橋上和司さん(56)は昨年11月、「震災学習列車」の「語り部」の助っ人を頼まれた。

 第三セクターでは日本最長のリアス線は、全長163キロ。最北の久慈駅から田野畑駅までの区間で、静岡県からの高校生3クラスが1時間あまりの「震災体験」をした。

「海抜13.4メートルの高架橋なら大丈夫だろうと線路の上に避難した人々を、第2波が橋ごと押し流した」。38人が犠牲になった現場で黙祷。「ゆだ(津波)てんでんこ」の方言の説明にも耳を傾けた。

 朝ドラ「あまちゃん」撮影の案内も務めたことのある橋上さんは、名ガイドといわれ、語り部役は100回を超えた。

 しかし、本職の営業部長のデスクに戻れば、赤字との闘いに直面する。10年前の大震災をしのぎ、2014年に南北リアス全線の開通にこぎつけた。19年の旧JR山田線もつないだリアス線のスタート後、台風19号で7割が不通に。5カ月で復旧した昨春、コロナ禍が襲い2千件近い団体予約はキャンセルが相次いだ。

 いわば、トリプルパンチだ。橋上さんはめげない。三鉄1期生である橋上さんには、忘れられない光景が二つある。

 当時19歳、車掌として乗り込んだ初列車は、歓迎に出た地元の人で車両もホームもあふれ、2時間遅れた。11年の震災では、徹夜工事で「震災復興支援列車」を5日後に復旧させた。スコップを手に泥出し応援に向かう男性、着替えやミルクを手提げに詰め込んだ女性。自転車も一輪車も積み込んだ。四半世紀前の「原点」とつながった。

 地域が鉄道を支え、鉄道が地域を支える。「鉄道員である前に地域住民であれ」。それが橋上さんの口ぐせになった。

 19年のリアス線開通時、陸中山田駅で大漁旗を振って出迎えた松本龍児さん(69)は、「地方ローカル線を守る市町民の会」の事務局長だ。駅前で営む文房具店には、列車が近づくたび、踏切の警報音が聞こえる。「どうしても見に行っちゃう。お客さんがいっぱい乗っているとほっとする」。そんな住民が三鉄を支える。

 JRは人と貨物を運ぶが、三鉄はメッセージも運ぶ。「震災学習列車」は震災の記憶を伝え、「こたつ列車」は産業と文化を全国に発信する。

 感染がつかの間下火になった昨秋の5週間、週末のプレミアムランチ列車は、ほぼ満員だった。牛乳瓶にウニ、イクラを詰めた「瓶ドン」など地元特産を武器に闘い続ける。(ジャーナリスト・菅沼栄一郎)

AERA 2021年2月22日号